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「違和感」と向き合い自己対話を重ねることで見えた世界

「で、あなたはいったいどうなりたいの?」

外資系メーカーの広報として働き始めて4年目の夏。当時の上司が氷のように冷たい眼差しを私に向けて、そう言った。いつものように抑揚のない声。けれど、その声や態度には部下に対する不満や苛立ちがにじみ出ていた。

あの頃、私はこの会社で自分のキャリアビジョンを描けずにいた。人事考課の面談で上司に今後のキャリアプランを尋ねられる度に、言葉に窮してしまう。1年後、3年後、5年後に、どうなっていたいのか。上手く想像できなかった。

 自分の"好き”を仕事にしていたにもかかわらずだ。

文章を書く仕事がしたい

夏休みの宿題の「読書感想文」が毎回楽しみでしかたなかったほど、子どもの頃から本を読むことや、文章を書くことが好きだった。そんな私は、いつからか「将来は文章を書く仕事に就きたい」と願うように。

就活では出版社や広告代理店に的を絞り応募するも、ことごとく落選。アメリカの大学を卒業していたため、就活の時期も同級生たちより1年遅れ。気持ちばかりが焦るなか、毎日のようにエントリーシートや履歴書を書き続けていた。最終的には自費出版を主軸事業とするA社から内定を獲得できたのだが・・・喜びもつかの間、その数ヶ月後に同社が倒産。社長は雲隠れ。もちろん内定も取り消しだ。

4月入社を予定していたのに、その年の1月にまさかの事態。晴天の霹靂だった。慌てて就活を再開したが、もはや業種や職種などにはこだわっていられない。希望の条件をある程度満たしている会社の面接をかたっぱしから受けた。幸いにも、「グローバル広報」を募集していた前述の会社から3月20日に内定をもらい、何とか4月1日の入社式に滑り込む形で社会人としての一歩を踏み出したのである。

望むのは管理職への道ではない

入社して数年間の主な業務は、社内報やイントラネット向けの取材、記事制作や翻訳。「出版社で働く」という夢は叶わずとも、「文章を書く」という自分の好きなことを仕事にできていた。

取材の仕事も楽しかった。昔から動物園に行っても "動物”ではなく"人”を観察してしまうほど、人間への関心が高かった。けれど、人見知りの私。取材はそんな私にとって、普段はあまり関わることのない人たちと深く話し、新しい考え方や価値観に触れることができる刺激的な時間だった。取材相手の核となる価値観に触れることができたとき、それを軸に点と点でしかなかった個々の話が結びつき、一編の物語として私の頭の中を駆けめぐる。そんな瞬間が、たまらなく好きだった。

一方で、上司が求めていたのは、"広報”として会社の戦略などを立案・実行していく人材、いずれは彼女の後継者として管理職を目指す人材であり、"ライター”ではなかった。彼女から「どうなりたいの?」「何をしたいの?」と聞かれても、私は「書くことを続けていきたい」としか答えられない。経験を重ねれば重ねるほど責任範囲も広がり、入社3年目を過ぎた頃から執筆作業の多くを外注しなければ仕事が回らなかった。こうした状況に、だんだんと居心地の悪さを感じるようになっていったのだ。

家族との時間に寄り添う働き方を願うように

「上司である彼女や海外の同僚たちの働き方に自分の将来像を重ねることができない」

いつからか、そんなふうにも感じていた。海外の同僚との定例会議は時差の関係で、夜10時から深夜にまで及ぶ。年に一度は地球の裏側に位置するアルゼンチンまで出張。生後1歳に満たない子どもを置いて出張に来る同僚もいた。彼ら/彼女らの働き方・仕事に対する姿勢を目の当たりにし、私は感化されるどころか戸惑いを覚えたのだった。

「ここは私がいるべき世界?本当に自分が望んでいる未来なのか?」と。

家庭第一の母の背中を見て育ってきた影響か、自分自身に「幼い子どもを置いて海外出張に行けるか」と問うてみると、答えは「No」だった。当時はまだ独身だったが、「将来子どもができたら、もう少し家族との時間に寄り添った働き方をしたい」。そう強く思った。

ライターとして独立 が、そこに"想い”がない

そんな私が選んだのが、フリーランスの道である。独立後は「ようやく自分のやりたいことをやれる」と意気揚々としていた。数年前に母親になってからは、9時から15時頃まで働き、その後に夕飯の支度やその他の家事を済ませてから、16時には保育園に息子を迎えに行く。帰宅後は、できる限り息子と一緒に遊ぶ。そんな生活に満足していた。

けれど、フリーランスになって7年目を迎えた昨年の夏のことである。私の中に、また一つかすかな迷いと疑問が生じた。あと何年か後に、今ほど子どもに手がかからなくなったとき、現状の働き方や暮らしで私は満たされるのだろうか?と。

大した趣味もないので、私にとって仕事はやはり生きがいだった。が、企業から依頼された内容を"書く”または"翻訳”する作業を、私はいつからか淡々とこなすようになっていた。もちろん、一つひとつの記事に真摯に向き合い、全力を尽くしている。ただ、そこに心の奥底から湧き上がってくるような自分の"想い”はなかった

私を苦しめる"世間のスタンダード”

そう考えるようになった時期と、二人目問題について悩んでいた時期が重なった。この町では、「子どもは一人?」「二人目は?」と当たり前のように聞かれる。周りにも、二人目、三人目を産み、育てている人が大勢いる。私たち夫婦はというと、「子どもは一人」と決めている。

元々、子どもがあまり得意ではない私たち。年齢的な問題、産後に私の体力が低下したことなど、そんな大人の都合で二人目は作らないとずいぶん前に話し合って決めた。今も夫の決心が揺らぐことはない。ただ、私は友人たちの「二人目報告」を聞くたびに、少し心が揺らいだ。これで良いのかな?でも、「もう一人産みたい?育てたい?」と聞かれれば、答えは「No」だった。夫と息子のいる今の生活で、私は十分幸せだ。

では、なぜ心が揺らぐのか?ざわつくのか?弟や妹が生まれている周りの友達を見て「ママのお腹に赤ちゃんいるの?」という息子の声が響いているのか?いや、違う。「一人っ子はかわいそう」「兄弟はいたほうが良い」という、いわゆる"世間のスタンダード”、"それを満たしていない自分”にうしろめたさを感じているだけだった。

価値観も、幸せのカタチも人それぞれ。他人と比べたところで意味はない。幸せになれない。そんなことは分かっている。でも、比べてしまう。他人の声に揺らいでしまう。結局、"世間のこうあるべき”という偏見に怯えている。自分の生き方を変えようとは思わないが、それが心に影を落とす要因であったことは確かだった。

投げかけ続けた自分への問い 私らしい人生へ

こうした感情と向き合うことで、私は人がもつ"価値観”や"多様性”、"ジェンダー格差”などに関心があることを改めて認識した。そういえば、昔から「女性だから」という理由だけで可能性を狭められることにも疑問を抱いていた。これらのテーマを軸に人生を振り返ってみると、さまざまな場面や言葉が脳裏を駆けめぐり、言いたいことが次から次へと溢れ出てきた。この想いを、 "自分の言葉”で綴っている時間は、心からワクワクできたのだ。

十数年前、企業の広報部に配属されたとき、「やりたい仕事に就けた」と思った。けれど、それはほんの始まりにすぎなかったのだ。"好き”を起点に、何年もかけて自分との対話を繰り返し、無意識の中にある"違和感”や“引っかかり”の原因を追究し、 "心地よい方”へと舵を切ってきた。その結果、生涯をかけてやり通したいと思える道がようやく見つかった。これが私のキャリアパス、ライフパスだ!と心から思えたのだ。

夏が終わる頃には、ブログを立ち上げて、これまで自分自身が感じてきた生きづらさや葛藤を綴り始めた。多様性やジェンダー格差に対する自分の考え方を世の中に発信したくて、企画から携われるライターの仕事も新たに始めた。今後は、今まで以上に人物取材にも力を入れていきたい。

多様な価値観や生き方を描くことで、「こんな考え方や生き方がある」という誰かの発見につながれば良いと思う。「私は私のままでいいんだ」と一人ひとりが"自分”を生きられる、きっかけを作っていきたい。私がこれまでたくさんの人たちや本、その言葉に救われてきたように、少しでも多くの人たちの心に届く言葉を紡いでいければと思う。

***

この間、登園準備をしていると息子から「なぜ、僕のママは仕事をしているの?」と聞かれた。「仕事をしていなければ、ずっと家で一緒にいられるからだ」と言う。「育児は母親がやるもの」という考え方はアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)だと認識していながらも、完全には克服できていない私は、今でも息子を10ヶ月で保育園に預けたことに、どこかで罪悪感を抱いていた。だから、この息子の突然の質問にうろたえ、自信なさげにこう答えた。「一つ目は働かないとお金がもらえなくて、みんなの食べ物や洋服が買えないから。二つ目はこの仕事が好きだからかな?」

でも、その後にふと思ったのだ。「例えば、夫の年収が1000万あったら、私は働かなかったのか?」と。答えは、「No」だ。子どもを産む以前から、何なら妊娠する前から、産後も必ず働くと心に決めていた。しんどかったけれど、今の仕事を手放さないために、生後2ヶ月の息子を胸に抱きながら、パソコンのキーボードを叩いていた日々を思い出す。

これからも世間の声に心が揺らぐことがあるかもしれない。けれど、私は私の"大切なもの”を大事にしながら、自分の人生を生きていきたい。そして、いつかまた息子が同じ質問をしてきたら、次は自信に満ちた笑顔でこう答えるのだ。「ママはこの仕事がとっても大切で大好きなんだよ。あなたもいつか自分の『大切なもの』を見つけてね」と。

#この仕事を選んだわけ
#私の仕事


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