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「足るを知る」大人になれたなら

学生の時とは違う、難しい”オトシゴロ”に突入したような気持ちになっている。

私たちは、二十代半ばから三十代にかけて、色々なライフイベントに直面したり、しなかったりする。就職、結婚、出産。とか。もろもろ。

昔は机を並べて勉強し、同じ部活で汗を流した友人も、いつの間にかSNSのアイコン画像が、ウェディングドレスになったり、小さい子供を手に抱き微笑む母の姿になっていたりする。

物凄い速度で人生が分岐していく。

もうあなたは、すぐ隣にはいない。

あなたがどこか遠くに行ってしまったような気がして、時々寂しさも感じる。そとそも私とあなたは、あと何回会えるんだろう。3ヶ月に一回会っても、1年で四回。そしたら百回も会えないかもしれない。親でさえそうだ。こんな状況だから、余計そう思う。

私が歩いているこの道は、私の人生は、この先どこに続いていくんだろう。

仕事の忙しさを言い訳にして、体の違和感に見て見ぬフリをして数年が経った。

今年の春は社会人になってから一番仕事のペースが穏やかだったこともあって、ようやく重い腰を上げて病院に罹ることができた。腹部に違和感があったため、MRIを撮った。

お腹の中に、15cm近くまで育った腫瘍が見つかった。

幸い、命に別状があるわけではない。何か目立った症状があるわけではない。ただ、このまま仮に妊娠等をすると、流産になる可能性が非常に高く、そういったことを考える前に切除した方が良い、と医師はのたまう。

そんなこんなで、私はこの夏、腫瘍の摘出手術をすることになった。

そうこうしているうちに、腫瘍の他にもいくつか病気が見つかり、自分が子供を望むにはややハードルが高い人生になりそうなことを知った。

子供を欲しくないと思っているわけでもなく、かといって何がなんでも欲しいと思っているわけでもなかったから、病気があるという事実を、ただ事実としてフラットに受け入れられている方だとは思う。


でも、私より後に結婚した友人が、先に出産する報告を聞くたびに、9割5分はおめでとうと思っていても、少しだけ、ほんの少しだけダメな気持ちになる。

別れた前の恋人と、その結婚した相手との間に子供ができたという話を聞く日がくるのを想像しては、ほんの少しだけダメな気持ちになる。

嘘。

ほんの少しじゃないかもしれない。

そんな自分が、怖くて、嫌いだ。

十代から二十代前半にかけて、散々自暴自棄な日々を過ごして、周りに迷惑もかけてきたし、そう、その罰なのかもしれない。

そう。

これからどうなるかな。どんな道を歩んでいくんだろう。何が起こるんだろう。

二十代ラスト一年無事に終えて、三十代にちゃんと突入できるかな。

まずは手術を無事に終える。

そして、今手元にある日々の幸せをちゃんと大事にしていきたい。そんな大人になりたい。もう大人も大人の歳だけど。全然まだできてない。

足りないものを嘆くのではなく、誰かと比べるわけでもなく、ただ自分が楽しい・嬉しい・幸せだと感じれる毎日のちょっとしたことを、直接関わる誰かのことを、大切にできる人間になりたい。

自分の感情や能力を否定することなく、過度に卑下することなく、ありのまま受け入れられるようになりたい。

そうやって幸せを積み重ねていけたら。

いつか必ず来る終わりが来たとき、ちゃんと「良い人生だった」と思うことが、できるだろうか?

これをどこかでたまたま読んでくださった方、くれぐれもご自愛ください。

年齢関係なく、体の不調に見て見ぬふりをしていると、後々大きな問題になったりすることもあります。

自戒を込めて。


#日記 #雑記 #エッセイ #思考 #人生

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