対話は “可能性の感動体験” を生む。
こんにちは。
この記事に目を通していただき、ありがとうございます。
私は、キャリア支援事業を運営している大坂谷(オオサカヤ)です。
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今回は「対話の生み出す価値」というテーマについて考えてみます。
まずは「なぜこのテーマで書くのか?」という背景を整理します。
コロナ禍において、チャットやSNS以外で、人との繋がりを感じることが難くなっていると思います。音声メディアのような質感のあるものが流行っているのも本能的に「人との繋がり」「人の温もり」に渇望しているからかもしれません。
このように、当たり前のように存在していたことが無くなった時、その大切さに気づくというのはよくある話です。逆に、当たり前に存在している物事の大切さに気づくことは(それが存在しているうちは)難しいのかもしれません。
だからこそ
人の根源的(当たり前)な営みである「対話」に焦点を当てるには、最適なタイミングなのではないかと思い、筆を走らせて(キーボードを打って)います。
では、早速はじめていきます。
❙対話が変えた、青年の人生
「対話の価値」について考え始めると、とある青年のエピソードを思い出します。まずはそちらをご紹介させていただきます。
▶僕の人生を変えた人
高校2年生のある日、僕は教室で友達を待っていた。
するとワシントン先生がふいに現れ、僕に黒板に書いてあった問題を解くように言った。
僕は「できません」と言った。
「どうして?」
「だって、僕は先生の生徒じゃありません」
「そんなこと関係ないよ、いいからやりなさい」
「できません」
「どうしてできない?」と先生。
僕は困って口ごもった。
「だって、僕は、学習障害児ですから」
先生はつかつかと歩いてくると、僕の顔を見つめて言った。
「二度と今の言葉を使ってはいけない。自分の価値を他人の評価で決めてはいけないんだ」
それは僕にとって目から鱗が落ちるような瞬間だった。
先生のおかげで僕の心は自由になった。他人が僕をどう思っていようと僕には僕の生き方があるのだと思った。
それ以来、ワシントン先生は僕の恩人となった。
当時の僕は2度も落第していた。5年生の時「学習障害者だ」と決めつけられ4年生のクラスに戻された。中学2年の時にも落第した。だから、この先生は僕の人生に劇的な変化をもたらしてくれたことになる。
ある日
先生が講堂で生徒にスピーチをしているのを偶然耳にした。
「君達はうちに偉大なものを秘めているのです。特別なものが備わっているのです。自分自身のイメージを一回り大きく描いてみなさい。自分はこの地球に何をもたらすことができるのか考えてみなさい。そうすれば大いなる歴史の中でこの世界は必ず変わっていくでしょう。ご両親は君を誇らしく思うでしょう。学校も君の住む街も君を誇らしく思うでしょう。君には何百万もの人々の生活を変えることができるのです。」
先生は卒業生に向かって話していたのだが、僕には自分に話しかけてもらっているように思えた。スピーチの後、生徒たちが立ち上がって拍手喝采を送ったのを覚えている。その後、僕は駐車場まで追いかけ、先生に言った。
「ワシントン先生、僕のことを覚えていますか?先生の話を僕も聞きました」
「ええ??君は卒業生じゃないだろう」
「分かっています。でも、先生がお話になった時、講堂のドアから漏れて聞こえてきたんです。あの話は僕のために言ってくださったようなものです。先生、卒業生に向かって『君達は偉大なものを秘めている』とおっしゃいましたが僕にも当てはまるのでしょうか?」
「もちろんだよ、ミスターブラウン」
「じゃあ僕が英語も数学も歴史も落ちてしまって、夏休みも補習授業に出なきゃいけないのはどういうことなんでしょうか? 兄や姉のように頭が良くないんです」
「そんなことは関係ない。他の人より頑張ればいいだけなんだ。成績で人格が決まるわけでも、将来が決まるわけでもない。君の将来はこれからの君次第なんだ」
「僕は母に家を買ってやりたいんです」
「それだって可能だよ。ミスターブラウン。君にはできるさ」
そう言うと、先生は行きかけた。
「ワシントン先生!」
「なんだね?」
「あの、僕、やってみせますから。覚えておいてください僕の名前を。いつの日か有名になってみせます。『あれは自分の教え子だった』って先生が自慢できるようになってみせます。僕、やります、先生」
それまでの学校生活は僕にとってまさに苦闘そのものだった。
進級できたのは僕が不良ではなかったからだ。だから進級させてもらえたがこれは決して僕のためにはならなかった。
だが、ワシントン先生は違っていた。 僕に要求した。 きちんと責任を持たせた。しかもそれに僕が答えられると信じさせてくれた。
翌年、僕が養護学級の生徒でもあるにも関わらず、先生の授業をとることができた。先生の良い影響で僕の成績が上がっていることを校長も分かってくれたのである。
そして、僕は生まれて初めて「優等」の成績をとった。 僕にとっては奇跡的な快挙だった!
ワシントン先生は僕が自分に対して持っていた固定観念を壊してくれた。劣等感や屈折を乗り越えさせ、大きな望みを抱かせてくれた。
後年、
僕はテレビで特別番組を5本プロデュースするまでになった。
その1つがマイアミの教育テレビで放映された時、友人達がワシントン先生に電話をして知らせてくれた。 デトロイトにいた僕が電話のそばで待ち受けていると先生から電話がかかってきた。
「ミスター・ブラウン、いらっしゃいますか?」
「どなたですか?」
「言わなくてもわかるでしょう」
「ああ。ワシントン先生、あなたでしたか」
「君は本当にやったじゃないか!なあ!」
「はいっ!先生、やりました !」
レス・ブラウン
講演家、ラジオDJなどを務めるレス・ブラウン↓の実話です。
レス・ブラウンを突き動かしたものは、 スキルやハウツーではありません。
「君にはできる」
このようなワシントン先生との「対話」です。
❙対話から生まれる可能性
対話の最大の価値は「自分の人生の可能性に気づくこと」だと思います。
上記のエピソードに関連してある調査を思い出したので、そちらもご紹介します。
▶スラム街の奇跡
ある大学で社会学を学ぶ学生たちがスラム街に住む少年200人を対象に一人ひとり家庭環境と生い立ちを調査しました。そして、この調査結果をもとに少年たちの将来性についてのレポートを作成しました。
すると、どの学生たちも「これらの少年たちには何の将来も期待できないだろう」と書きました。
それから25年後のこと
ある社会学の教授がこのときの調査研究を見つけ、当時の少年たちがその後どうなったのか学生に調べさせました。
引っ越したり死亡した20人を除いた180人のうち、なんと176人が弁護士や医者、起業家またはビジネスマンとして人並み以上の成功を収めていることがわかったのです。
教授はこの報告に大変驚くとともに興味をそそられ、さらに詳しく調べることにしました。
幸いなことに調査対象になった人達はまだその地域に住んでいたので、教授は自らその一人ひとりに会いに出かけ、こう質問しました。
「あなたを成功に導いたものは何だったのですか?」
すると誰もが、ある先生の名前を挙げたのでした。まだご健在というその女性の先生にぜひ会いたいと思い、訪ねました。そして、その先生にこう尋ねたのです。
「スラム街からあんなに大勢の成功者が出るなんて驚きました。あなたは、一体どんな魔法を使ったんですか?」
するとその先生はぱっと顔を輝かせ、口元に微笑みを浮かべるとこう答えたのでした。
「とても簡単なことです。私は生徒たちを愛したのです」
エリック・バターワース
何をもって「人並み以上の成功」「幸福度の高い人生」なのかは文化や時代背景によっても異なります。
しかし
スラム街という人生の選択肢が極めて少ないような地域の少年たちが、一般的に難しいとされる医師や起業家になったという「成功の事実」は非常に興味深いです。
つまり
この調査から分かることは、人がより良いキャリアや人生を歩むための鍵は、環境・生い立ち・能力以上に「自分には価値がある」とか「自分の人生は可能性に満ちている」ということに気づくことだと思います。
もちろん、この可能性に自分自身で気づくことは難しいかもしれません。だからこそ「対話」が重要になってくるのだと思います。
❙対話は、可能性の感動体験を生む。
ここまでエピソードが続きましたが「対話」に話を戻します。
対話といっても少し範囲が広すぎるので、私の専門分野であるコーチングに絞ります。コーチングおいても、ここまでに挙げたような成功体験は起こっているように思います。
あくまで参考として、私の関わった方々の事例もいくつか挙げさせていただきます(守秘義務の範囲で公開しています)
・作家志望の人の初出版が決まる
・転職後3ヶ月で歴代営業成績を更新する
・一念発起して起業し1年で6つの事業を立ち上げる
・大企業を退職して学生時代からの夢だった職業に就く
・10年以上躊躇していた起業に踏み出し初年度で年収2倍にする
・成績不振で解体しかけていたチームが社内トップの成績をあげる
・「未経験では不可能」と言われる業界に挑戦して転職を成功させる
他にも
・20年以上も疎遠だった両親との交流を再開する
・10年以上も不仲だった夫婦が一緒に旅行にいくまでの仲になる
文字にすると安っぽく見えてしまうかもしれませんが、これらには数々のドラマがあります(桜も満開時には注目を集めますが、桜は咲くまでに炎天下の夏、猛吹雪の冬などの苦しい時期を乗り越えています)。
どうして彼らがこのようなことを成し遂げられたのかというと、いくつかの理由の中の一つは「対話を通じて自分自身の可能性に気がついたから」だと考えられます。
コーチングでは「本人以上に本人の可能性を信じる」という関わり方をします。このコーチングの性質が「自分の可能性や特有性(その人だけが持っている特別の性質)に気づく」ということに寄与しているのかもしれません。
(もちろん、これらの成功体験はコーチングのお陰というつもりは一切ありません。コーチングでは、テクニックやハウツーをお伝えすることはほぼないことを考えると、これらの成功体験は自助努力の賜物です)
「可能性に気づく」というと少し抽象的ですが、のちにクライアントさんたちが語ってくれた言葉が「可能性に気づく」ということが、どういうことなのかを物語っているように思います。
「自分の人生の可能性を実感して、感動して涙が出た」
「このまま死んでも悔いはないと思える程やり切れた」
「絶対に辿り着けないと思っていた場所に辿り着けた」
「家族や友人から“人ってここで変われるんだ”と驚かれた」
「自分の力で自分の人生を作っていけるという自信がついた」
「絶対にできないと思っていた挑戦をやり切れた自分に驚いた」
これらの言葉を見てみると、自分の人生の可能性を噛み締めているように感じます(これらはレス・ブラウンの感じたであろう感覚にも通ずる感じがします)
これは経験則の話ですが、人は「自分には可能性がある」と気づいたら挑戦せずにはいられなくなります。欲しい物が目の前にあり、しかも、手の届きそうな位置にあったとしたら誰もが手を伸ばします。
片思いだと思っていた人が自分の事を好きだとわかったら、告白せずにはいられなくなりますよね?その感覚に近いかもしれません。
ここまで、コーチングを例に「対話の生み出す価値」について書き綴ってきましたが、これらはコーチングだけで起こるような特別な話ではありません。
これを読んで下さっている方も、打ちひしがれていたり、自暴自棄になっている友人に対して、
「君ならできる」
「あなたなら大丈夫」
「私はあなたができると信じている」
このように目の前の人を勇気づけたことは、一度はあるかと思います。本質的にはこれと同じことです。
❙これからの対話の価値、そしてビジョン
ここから話は未来軸に変わりますが「自分の人生(キャリア)なんて真剣に考えなくても生きていける」という時代はとっくに終わったように思います。「これが成功」という道のりはもはや存在しないですし、成功らしき道のりがあったとしても多様化しています。
そう思う背景としては、一昔前は主流でなかったであろう「自分の本当にやりたいことがわからない」「好きなことを仕事にしたいけど失敗が怖い」このような悩みが存在しているからです。この悩みには「もっと自分はやれるはず」「もっと自分らしさを発揮したい」という想いが隠れている気がします。
このような悩みに対して「可能性を一緒に探る」「可能性を後押しする」という存在は、これからの時代、より重要な役割を担うのではないかと思います。
私はコーチなので、上記のことも鑑みると「コーチ(可能性を引き出す対話をできる人)がもっと増えたらいい」と思っています。
もちろん、思っているだけではなく、今年から本格的にコーチを育成していきます。「2021年は10名のコーチを育てる」を目標に活動していきます(対話に関心のある方は連絡ください!一緒にコーチングを学び、活用していきましょう!)
❙まとめ
例え話なども織り交ぜながら綴ってきたため、分かりにくい部分もあったかと思います。ここまでの話をダイジェストでまとめます。
まとめは以下のとおりです。
Q.対話の生み出す価値とは?
A.やる気でる!
以上!
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