トラウマ克服

忘れる恐怖~今、子供たちに伝えたいこと~

子供のころの私は、とても忘れ物が多かった。

今思えば、なぜあんなに多くのものを学校に持っていかなければならなかったのだろう・・・。

教科書、給食のお箸・スプーンセット、リコーダー、書道の道具、絵の具などなど。。。

教科書は、一度学校に持って行ってしまえば置きっぱなしにしても問題ない。推奨はされていなかったが、忘れるくらいなら持って帰らない方がましだと思い、置き勉(教科書を置きっぱなしにすること)をしていた。

(あたかも自分が、「無駄な事はするまでもない」と考えた、賢く意識の高い小学生であったかのように見せてしまったが、正確には何も考えずに置き勉していた。もっと正確には、当時の私の興味関心のほとんどは「金田一少年とみゆきはくっつくのか?」「次のコナンの発売日はいつか?」といった事に集中しており、学校の宿題や持ち物などという些末なことに注意を払う余裕はなかった。)

しかし、体操着はそうはいかない。

伝家の宝刀「置き勉」をしようものなら、汚れた体操着を何度も着ることになってしまう。酸化した体操着を繰り返し着るのは、いくら私でも気が引ける。

しかも、黄ばんだ体操着を家に持って帰るなどという暴挙に出れば、母親からこっぴどく怒られる事間違いなしだ。

そのため、体操着は私の忘れ物ランキングに堂々の殿堂入りをしていた。

また体操着だけでなく、「プール」という夏の風物詩に紐着く「水着」も、ランキング上位の常連だった。

体操着は、最悪同じ苗字の知り合いに借りることもできる。学生時代「普通過ぎてつまらない」と思っていた山本という名前も、今考えると、とても私向きな良い名前だったのだろう。間違っても神明寺(じんみょうじ)などという、学年に一人しかいなさそうな名前でなくてよかった。

しかし、水着はそうはいかない。

私自身は誰かが着た水着を再度着ることに全く抵抗はなかったが、貸す方は抵抗しかない。相手は「一度着た水着を貸してほしい」などと他のクラスの子から頼まれたら、複雑な気持ちになること間違いなしだ。

結果、私は先生からも周りの友達(特に同じ苗字の子)からも「実は、よく忘れ物をする子」と認識されていた。

(余談になるが、この「実は、よく忘れ物をする子」という称号は、高校に上がると「実は、よく授業中に寝てる子」に変わっていった。)

この「忘れ物」という習性が、子供の頃の私の自己肯定感を下げまくっていたのは言うまでもない。忘れ物をした日には、自分が学校というヒエラルキーの底辺に生息する何だかよくわからない虫くらいに思えて、教室の隅でうじうじ生活するしかなかった。

さて、そんな私は、大人になった今でも体操着を忘れる夢を見ることがある。大概「確実にカバンに入れたのに!」と、とても焦ったところで目が覚める。

しかし、現実では、もはや体操着など必要がない。飛び起きた次の瞬間には「そらみろ!私はもう大人だ!」と、心の中で叫んでいる。

なんという安心感だろう。

また、大人になり、忘れ物を自分で解決できる場所に巡り合うこともできた。そう、忘れ物大王である私のオアシス、コンビニだ。

大人の忘れ物は、大概「コンビニ」と「お金」が解決してくれる。

さらに、テクノロジーの進歩により、スマホとPCで多くのものが一元管理できるようになった。そのため、スマホとPCさえ持っていれば、何でもできる世の中になってきている。結果、書類を忘れても大丈夫!である。

さて、子供のころにあんなに忘れ物に苦しめられていた私も、今は周りの協力とお金、現代のテクノロジーのおかげで何とか生き延びている。

今でも、忘れ物はしないほうがいいか?と聞かれれば、そりゃしない方がいい、と答えるだろう。

しかし今、忘れ物に悩んでいる子どもがいたら私は声を大にして、こう伝えたい。

「忘れても大丈夫。だから、忘れ物をしたら助けてくれる心優しい人と仲良くなって、人並みにお金を稼いで、インターネットやクラウドを使えるようになりなさい。ただし、感謝とクラウドのパスワードだけは忘れるな。」

と。

今も私の忘れ物に付き合ってくださっている皆さんには、感謝感謝の毎日である。

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