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死ぬよりも健康に生きるほうが何倍も難しい

一日のあいだに何回か、いや一月のうちに何十回と、ああもうだめだ、どうしようもない、と心が折れそうになって、あるいは折れてしまってただただ無為な時間を夜中まで過ごして、朝遅くに起きてまた後悔をする。そんなことを繰り返すたびに、ああもう消えてなくなりたい、と思う。

そのたび、「死ぬよりも健康に生きるほうが何倍も難しい」という、たまたま見かけたマンガの台詞を思い出す。

よくあるマンガの展開で、病弱な女の子が、健康だけど意地の悪い女の子と入れ替わる。入れ替わると病弱な女の子は、病気との戦いで鍛え抜かれた不屈の精神により、意地の悪い女の子のこれまでの悪評をはねのけて、健康な毎日を謳歌する。

死ぬよりも、生きるほうがずっと大変なんだ、という表現を同じく、水俣病のドキュメンタリーの中で見つけた。生きるにはお金がかかる、病気や障害であればそのケアも必要になる、それでも生きたいから、被害を訴え、補償を要求する。生きるために戦っている。

健康に生きるのは難しい。毎日をいつもと同じように、繰り返し繰り返し、一定のリズムを保ったまま、生きる。それだけのことができなくて、一時の感情に流されたり、ふっと燃え尽きるように倒れたり、不安定で歪な気持ちに襲われる。

安定していつも同じようにできる、というのはそれだけですごい才能だ。
私は、なるべく熱いままでいたいけど、とたんに途切れて冷たくなってしまう、古いガス給湯器のシャワーみたいだ。一定の温度をずっと保つことができず、熱くなったり、冷たくなったり、してしまう。

不安定でゆらゆらしながら、生きる。健康とか元気とか、どんな状態だっけ、とふと思う。でも、生きている。生き続けるのは大変だけど、ときどきなんでもない言葉に救われたり、励まされたりする。なんとか今年も生き抜いた。

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