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少しだけ、耳がいい女の子のはなし

少しだけ、耳がいい女の子の漫画を読んだ。「タカコさん」だ。

タカコさんは、人よりちょっと耳がいい。けどそれは、特殊能力なんかではなくて、些細なことが人よりすこーし聞こえてしまうくらいの何の自慢にもならない、履歴書にもかけないレベルの。
「ちょっと耳がいい」 だから毎日は概ね普通。

ちょっと耳がいい。
優れた身体能力というより、きっと音に対する感性がとても豊かで、そこから膨らむ想像力の幅がとても広く、深いのだ。だから、日常のなんでもない音が、心地よい誰かの息づかいとして耳に入ってくる。その音のひとつひとつに思いを馳せることができる。
誰かの発する小さな声を、きちんと捉えることができる。とても気持ちのいい長所だ。

雑踏のなかで聞こえてくる雑音は、それをノイズだと思ってしまえば、耳障りの悪い雑音でしかない。でも、多方面からいくつも聞こえてくる一つ一つの声にも、それを発する人がいて、それぞれの人たちの人生や生活がある。少しの想像力で、そこにいる人の生活の形を思い浮かべてみるだけで、それは雑音ではなく、誰かの生きている音になる。

情報過多でノイズがいっぱいな世界でも、そんなふうに考えて生きていければ、少し気持ちが軽くなる。

洗濯機を回す音。
ふとんを叩く音。
ごはんを作る音。
カフェで誰かがおしゃべりをする音。

そのどれもが遠くて近い誰かの息づかいとして安心感を与えるものとして、タカコさんは認識できるのだ。なんだか、とてもうらやましい。

かき消されそうな小さな声で歌うミュージシャンが、聞こえてくる車の音、通りを歩く人の話し声、グラスの鳴る音、それらすべて含めて僕の音楽だ、と話していたのを思い出す。
ここで歌っている、ここでギターを鳴らしている、それを確かなものにしてくれるのは、周りから聞こえてくるいろんな音だ、と。

日々、過ごしているなかで聞こえてくるいろんな音に、耳を傾けたい。そして豊かに想像してみる、どこかの誰かの人生を。それは、ぼーっとしているんじゃなくて、ただ耳を澄ましているだけなんだ。

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