保育園落ちた、決まったで分断される親たち
認可園の全落ちの結果が出て、約1ヶ月。
近所の企業主導型保育園の選考結果が昨日出て、無事に4月から通える事になった。
先行きがわからないまま、やきもきしていたので、決まったことがとても嬉しいし、これで4月の慣らし保育を無事に終えれば、職場にも復帰できる。
でも。
私の子は保育園に入れるけれど、保育園に入れず育休を延長せざるをえない人もいる。リアルで知り合った人はそんなにいないけれど、Twitterのママ友のなかでは、保育園落ちた人、決まった人、はっきりと分かれてしまう。
育児の日常を発信する人は多い。
同じ大変さを知る人とつながり、励まし合ったり、大変さを分かち合ったりできる。お互いの持っている知識や情報をシェアして、助け合える。そうして、自分たちだけで子育てをするしんどい日常が少し軽くなるから、日々の些細なことも含めて発信する。
だけど、保育園決まった、さあ準備が大変だ、なんてちょっとつぶやきにくいよね、と思う。これまで同じ仲間だった人のなかには、保育園が決まらず、困っている人もいるかもしれない。
もちろん、お互いに気にしても仕方がないことなのだ。だけど、励まし合ってきた同志、近い月齢でお互いの頑張りを見てきたのに、まるで分かれ道があるかのように、少しずつ、つぶやく内容は変わっていく。なんとなく小さな溝が生まれ、だんだん大きくなっていく気がする。
個人の力でどうこうできることではないし、そんなことで誰かを嫌いになることもない。けれど、個人ではどうにもならないことで、分断が起きてしまう社会はやっぱりおかしい、と思う。
「保育園落ちた」人たちで連帯して、運動を起こすことはできるけれど、その人たちが保育園に入れてしまったら、もう運動はやめてしまうだろうか。保育園決まったのに、「もっと保育園に入れるようにしろ」と声を上げたら、「あなたは入れたんだからいいじゃない」と言われるだろうか。
私は欲張りかもしれない。
けれど、私だけじゃなくてみんなが望んだ園に入れるほうがきっといい。
すべての子どもが希望する保育園に入ってほしい。
すべての親が納得して大切な子どもを預け、納得して働いてほしい。
保育園で子どもが過ごす時間は、とても長い。その長さもまた、問題かもしれないけれど、長い時間を過ごす保育園が、子どもにとっていいものでありますように、と願う親の気持ちはきっと変わらない。
希望の保育園に落ちてから、自転車で2km以上かけて通うことも、車で送迎して通うことも、育休を延長して過ごすことも、いっぱい想像した。そうすることで待機児童ではなくなるけれど、決して望む形じゃない未来だった。望まない未来を選ばされるのに、待機児童ゼロなんて、言わないでほしい。
これを、世の中望み通りいかないこともある、で簡単に片付けたくない。
望み通りいかない人が出てくる今の仕組みはどうなっているのか、なぜ変えられないのか、変えるにはどうすればいいのか。私だけの問題ではなくて、社会の問題として、これを捉えて解決したい、と切に思う。