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完璧なんかでいられるわけがないだろ

わたしはよく間違える。

間違えるし、分からないことばかりだ。だって、世の中はこんなにも訳が分からないことに満ち溢れていて、あまりにも不確実だから。

1か月後のことも、半年後のことも、5年先のことも、どうなるか分からない。何十年もする何千万のローンとかは組めるのに、スーパーの玉子は100円じゃなきゃ買うのをためらってしまうのは、何十年後のことは分からなさ過ぎて想像できないけれど、目の前のことはリアルに分かるからだ。私は想像しすぎて、ローンとか組めないけれども(たぶんそんな信用もない)。

先のことは分からない。わたしがいつまでもずっと健康で働けるとも限らないし(いまでもたいして働けてないし)、この先間違った方向に人生が進むかもしれない。わたしが選んできた道、選ばなかった道、できなかったこと、やってきたこと。いろんなものを積み重ねたいまが最高、とも思わないし、完璧な人生なんてものはないし、完璧な人間もいない。自己肯定感の低いわたしは完璧だなんて、思えたことはほとんどない。

間違えちゃいけない、とは思わない。人はどうしても間違える。間違えたら、謝ろう。そして、なにを間違えたのか、なぜ間違えたのか、面倒だけど、ちゃんと考える。面倒だから、億劫だから、誰かと一緒にやってもいい。たぶん、そのほうが楽に間違いを見つけられる。

「完璧なんかでいられるわけがないだろ」とうたう歌がある。いつでも、笑っていたい。でも、そういうわけにはいかないこともある。

ときどき、完璧でいたい、強くありたい、と思う自分と戦わなきゃいけない。ついこないだ「全然、大丈夫」が口癖になってる、と言われて、そう気づいた。そうだね、大丈夫じゃないから声かけられてるんだよね、と。

でも、言い訳じゃなく、完璧、100%、そういうものを頑張って目指す。いつまでも、そんなふうにいられるわけじゃないと分かっていても、不確実なことを少しでもなくしたくて、頑張ってしまう。仕事では、そんなふうに不確実さと戦って安心を求めているのに、私は不確実なものが好きだ。

ひとは間違えること、そして物事は不確実なことを前提に仕組みを考えたら、きっと優しくなれる気がするから。それに巻き込まれて、間違えてしまうのも、迷子になってしまうのも、どこか楽しんでいる。これからも、そんなふうにあいまいさを抱えて生きていく。先のことは分からないけれど。


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