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ふつうのみんなの学校に、特別を
ふつうってなんだろう?みんなってだれだろう?
そんな問いに出会って、漠然と考えたこと。
「ふつう」も「みんな」も、同じであることを求めてくる。一緒だと安心する、ついその安心から抜けられなくなってしまう。同じじゃないこと、違うことを恐れさせてしまうもの。
— yuki ota (@lazy_planet) August 29, 2022
同じであることを求める。違うことをしない。それがみんなのなかでふつうでいること、なのかもしれない。
でも、みんなのなかにいることも苦手な子だっているし、たくさんのみんながいるところでふつうでいることがつらい子もいる。ふつうを求められ、押しつけられることが嫌な子もいる。本当は、好きなものがあるのに、みんなと一緒だから好きじゃないべつのものを選んでいるかもしれない。
そういう子は、ふつうのみんなの学校にいることが難しいだろうか。ちょっと行きたくなくなるだろうか。ふつうとは違うルールのある、特別な学校ももちろんある。そこで過ごすほうが、楽で、自分らしくあれるのかもしれない。でも、子どもが自分の力で、自分だけの自分に合った特別な場所を見つけるのは難しい。お金もかかるかもしれないし、家から遠い場所にあるかもしれない。
ふつうのみんなの学校が、変わっていくといいな、と思う。オルタナティブな選択をしなくても、公立の普通校が、誰でも居やすい場所になったらいい。
ふつうのみんなのいる学校がほとんどの世の中で、そこが変わらなかったら、その先にある社会もまたきっと変わらない。ふつうのなかに、特別があることを求めてはいけないだろうか。みんなのなかで特別にいることは変だろうか。
もっと特別なことを、日常の中でできたらいいなと思う。それが特別でもなんでもなくなるくらい、いろんな人がいろんなやり方で、特別なことができたらいいな。ふつうやみんなに馴染めなくても、なんとかなる世界を残していきたい。
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