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皆が心理学者になる必要はない

うつ病、発達障害、心の傷、トラウマ、アダルトチルドレン、毒親。あるいは心理的安全性、合理的配慮、嫌われる勇気。

以前は、あまり表立って出てこなかった、こうした病気や障害、特性が、よく知られるようになってかんたんに調べることもできるようになった。皆、単語を聞けば聞いたことがある、なんとなく知ってる、だけでなく、ちゃんと理解しようと努めている。それはきっと優しい世界に違いない。

誰かが自分の抱えている問題を理解してくれる、わかってくれる、あるいは自分でもわからなかったものが簡単に情報にアクセスできてわかるようになる。同じように悩みを抱えている人を探し出すこともできる。そうした存在は、直接関わりがなくてもとても心強い。そして、合理的な配慮への理解が得られやすくなり、困難を抱えている人の生きづらさを緩和してくれる。

一方で、多くの人に理解を求める、というのは、多くの人にそれらを学んで身につけてもらうことでもある。心理学に詳しくならないと、それに安易に触れていけないような、そんな感覚がどこかある。ジェンダーなんかも同じことが、言えるかもしれない。

実際には悩みを抱えている人の困難さをわかり合うことは難しい。詳しく知れば知るほどそういう可能性もあるのか、とかそれに近いのかもしれない、という曖昧な表現でしかその人の環境を把握できない気がする。

自分の苦しさをわかってもらえたら嬉しい。

けれど、すべての人に詳しくなってもらうのは難しく、皆が知ってて当たり前な状況もまたちょっと怖い。本当に奥深い世界の中で、どれほど調べて知っていたら「わかる」ことになるのか。心理学者であるほど、「わからない」と言いそうな話でもある。

インターネットの情報は、正しいものばかりが目立つわけではない。間違ったものもあるだろうし、専門家ですら言ってることがバラバラだったりする。そんななかで、なにが正しくてなにが間違ったり誤解されたりしてるのか、皆が見極めて理解することは必要だろうか。

全部を頭に入れる必要は全くない。けれど、判断や対応に迷ったときに、当事者も周囲の人も、その拠り所となる情報が適切に届いたらいいなと思う。そういう場所や存在にすぐにたどり着くことができたらいいな。




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