それぞれの日本とアメリカ。
昨日、池袋で弟ふたりと待ち合わせをしたら、到着するなり、下の弟が興奮気味に言った。
"It's like a Murakami story."
アメリカ生まれの弟は、村上小説を全て英語で読んでいる。
でも、何が「村上小説のよう」なのか。
もうひとりの弟(村上春樹が苦手)と私(大好き)は、30度を越える池袋駅東口を一刻も早く離れたかったのだが、夢中に話す弟を止めるタイミングではない感じがして、続きを聞いた。
弟の身に起こった「Murakami Story」。
最近、朝目が覚めたら、マンションのバルコニーに大きな亀がいた、とのこと。両手を使わないと抱えられないような、フランス料理のディナープレートより大きめな亀が。
"Hey, little dude. What's up?" 弟は亀に声をかけた。
ん?ちょっと待って。
私と、もうひとりの弟が同時にしゃべりだす。
"But you live on the third floor."(私)
"Don't you live on the third floor?"(もうひとりの弟)
弟が暮らすのはマンションの3階である。
人はよくわからないことが起きるとまずわかることを確かめる。
弟が暮らすのは川越のマンションの3階である。亀がどこから来たかは、謎。(3階のバルコニーは全室つながっているとのこと)
マンションを出ていった人間が、引越しの際に置いていったのかもしれない、と言う。そもそも連れてきてはいけない亀だったのかもしれない。その無責任な行動に、弟は怒っていた。
弟が7歳か8歳の頃、アメリカのショッピングモールで家族全員が入ったレザーの鞄屋さんに入らず、ひとり外でちょっとぷんぷんして待っていたことを思い出した。子供心に「革製品」が許せない、と表現していた。
7歳の弟が、目の前の大人と重なる。
結局、他の住人に聞いて回ったもののオーナーは見つからず、マンションで飼うことはできないため、保護に来てもらうことにした、と言う。
困惑とショックが私たちにも伝染する。
弟が日本に来たのは、今年4月。彼にとって「日本」はどう写ってるだろう。
* * *
姉弟3人だけで会うのは、約12年ぶりだ。それぞれに家族がいたり、違う国に住んでいたり、LAの実家で合流するときには両親がいたり、3人だけになることはめったにない。
今回は偶然にも、家族が出張で留守にしていたり、夏休みで帰国(アメリカへ)していたりで、仕事がある私たち3人だけが東京にいるという不思議なことになっている。
日本で暮らすようになった経緯も時期もバラバラ。
大人になって「選択」ができる立場になったとき、私たちは日本に来ることを選んだ。(子供の頃は日本への反発もあったので、今、親はLAで喜んでいると思う)
私たちの中にはそれぞれ「日本」があって「アメリカ」がある。同じ家族でも、その「日本」と「アメリカ」の度合いや重さや悩みのジャンルは違う。
"This is like summer vacation when we were kids." 子供の頃、夏休みで日本に来た時みたいだ、と弟(左)は言う。
村上春樹が苦手な彼(左)は、村上小説とは違う東京を見ている。彼が見る東京は子供の頃から、「サッカー」を通しての東京だった。日本に来る度に原宿のサッカーショップに通い、ブルーのユニフォームをアメリカでも着て、日本代表を応援し続けてきた。先日の試合の終わり方にがっかりはしたものの、そのロジックに理解は示していた。
村上春樹が好きな弟(右)は、小学校で英語を教えるためにやってきた。彼の日本は「子供」「感性」というレンズを通している。沖縄、スペイン、LAで教育やアートに携わる仕事をした後、突然また「日本に住む」と言って私たちを驚かせた。
* * *
私は昔から、無邪気に日本代表の応援ができる弟が羨ましかった。アメリカでの自分の存在に自信があるんだなぁ、と思ってきた。
そして今、異国の「違和感」を全身で浴びているもうひとりの弟が、危なっかしくも少し頼もしい。
私と日本との関係はもう少しドロドロしていて、でも「自分は誰問題」を解決するには必要な時間と暮らしだと思っている。そんな私を突き放したり受け止めてくれたり、日本は距離の取り方が絶妙にうまくて意地悪である。
今、弟ふたりと話せることを幸せに思う。3人とも日本とそれなりに向きあい、理解をしようとしている。
やっぱり、好きなのだ。TOKYOが。
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