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素直に読んでみると。

6月中旬なのに、震えるほど寒い土曜日の午後。

下北沢の本屋B&Bで、翻訳家のくぼたのぞみさんにサインをいただいている間、私はこみ上げてくる「なにか」を言葉にしようとしていた。言うか言うまいか悩んでいる間に、サインを終えたくぼたさんが本を閉じそうになる。

サインをいただいた本のタイトルは『マンゴー通り、ときどきさよなら』。メキシコ系アメリカ人の作家、サンドラ・シスネロスによるアメリカ文学の名作と言われている。

「あ、あの...!」

言ってしまおう。普段、サイン会は照れくさくて参加できないのに、今日はこうして並んだのだから。

「中学時代にアメリカの授業でこの本を読み、20年数ぶりに読み返しました。初めて日本語でも読んで「こんなに深い作品!」と衝撃を受けました。ありがとうございます」

そう一気に話すと、目に涙が溜まっていることに気づく。まずい。だから、Q&Aでも手を挙げられなかったのだ。(聞きたいことはあったのに)

自分のちょっと面倒な部分に触れそうになるから、手を挙げなかった。

アメリカに4歳で渡り、それから居場所を探し続けてきたこと。ロサンゼルスの中学校でこの『The House on Mango Street(マンゴー通り、ときどきさよなら)』を読んだ時、実はあまりよく理解できなかったこと。

例えばシェイクスピアと比べると、シンプルな文体なので、わかった気になって「I love this book」と友達と言い合っていたけれど、本当には響いていなかったこと。心の中では、「Why are we reading this?(なんでこの本を読むんだろう?)」 などと思っていた。

20数年前。素直になる前の話。

2018年。なかなかまとまらない私の話を、くぼたさんは優しい表情で「まあ、そうなの」と聞いて下さった。隣の編集者の方と「お仕事をしていてよかったわねぇ」と。

どんより曇った土曜日の午後、東京の大好きな書店に、大勢の人が『マンゴー通り、ときどきさよなら』の復刊記念のため集まっている。

20数年前に『マンゴー通り』を訳されたくぼたのぞみさん、この作品の復刊のため努力を重ねられた小説家の温又柔さん(解説も最高です)、そして推薦文を寄せられた金原瑞人さんが、名作の著者シスネロスの魅力を熱く語っていた。

まさか日本でシスネロスの話が聞けるとは...。嬉しい。

今年5月に復刊されたばかりの『マンゴー通り、ときどきさよなら』の裏表紙にはこのように書かれている。

アメリカンドリームを求めて、プエルトリコやメキシコから渡ってきた移民が集まる街に引っ越してきたエスペランサ。成功と自由を夢見る人々の日常の喜びと悲しみ、声にならない声を、少女のみずみずしい感性ですくいあげた名作。(解説・温又柔)

アメリカに住む少女「エスペランサ」は12歳にして、強い意志の持ち主である。

「いつか」と夢は見るが現状を抜け出せないマンゴー通りの住人と違って、自分は「本当にいつか」この街を出る、と言い切る。

いつか、本と紙をバッグにつめよう。いつか、マンゴー通りにさよならをいおう。わたしはあんまり強すぎるから、永久にここに留まらせておくことはできないよ。いつか、わたしは出ていくからね。(「マンゴー通りがときどきさよならという」)

と同時に、その街を出ることはないであろう両親や兄妹、近所の人たちを見て、思うのだ。

みんなにはわからないだろうな。わたしは帰ってくるために出ていったってことが。

下北沢の本屋に、若かった頃のシスネロス(現在は64歳)の朗読が流れた。

それこそみずみずしい声を聞きながら思い出していたのは、ロサンゼルスの中学校の広い芝生の広場。その頃、友人に囲まれてニコニコしながら、「ジャパニーズであること」ができるだけ話題にならないよう、静かに葛藤していたように思う。(葛藤という日本語は知らなかったけれど)

主人公のエスペランサとは逆で、静かに、誰にも気づかれないように。彼女のように主張もできなければ、「いつかマンゴー通りのこの家を出てやる」とも決められずに。

普通のアメリカのティーネイジャーとして毎日を過ごしていた私は、「普通に」この本を読み、メキシカンの親友たちの家族をイメージしながら「自分と直接は関係がないかも」と思っていた。「ジャパニーズのストーリーはないのかなぁ」とも。

少しでも自分のアイデンディティに誇りを持てていたら、その頃から自分にそれを許していたら、おそらくまたちがった反応をしたと思う。

そんな自分を思い返すと、少し息がつまる思いになった。

B&Bのイベントで、温又柔さんが話されていた言葉が心に響いた。「もし私がシスネロスにもっと早くに出会えていたら、日本文学の檻から出られていたかもしれない」と。

本書の解説でも、温又柔さんはこのように書かれている。

「マンゴー通り、ときどきさよなら」は、「わたしはわたし」と謳うためには、何よりもまず自分自身の声を信じてあげなくちゃ、と私を勇気づけてくれた。わたし(あなた)が複数の文化に引き裂かれるはずがない。何しろ、わたし(あなた)こそが複数の文化を包み込む存在なのだから、と私に教えてくれた。

すぐ私の話になってしまうけれど、自分自身の声を信じてあげなくちゃ、と勇気をもらう前に「自分に声はない」と諦めていたように思う。

4歳からマイノリティーであることをどこかで意識し(私たちの小学校で、アジア人は私と弟のふたりだけだった、というふうに)、もともとの性格も手伝って、意識までマイナーになってしまっていた。

そうではない友人に囲まれながら(メキシコ系、ギリシャ系、キューバ系アメリカ人の親友たちが目に浮かぶ)、私が人前で何かを表現するなどありえなかった。

だから、中学生時代にこの小説を読んでも、他人事にしか思えなかった。「表現したい」と思っている人たちとは、違うアメリカに住んでいた。

でも20年以上が過ぎた今、私は気づくと自分の「マンゴー通り」を飛び出し、遠く日本にたどり着いて、自分のルーツを見直している。エスペランサのように「言葉にしたい」という思いに駆られながら。

そこで再度出会った『The House of Mango Street』は、そのタイトルを見るだけで、涙がこみ上げてくる。

エスペランサ、ごめん。あの頃、無視してごめん。という思い。

私は今のところ、故郷であるロサンゼルスを出たまま、帰ることができていない。中学生の自分をちょっとだけ置き去りにしたような気持ちもあるけれど、今はエスペランサの言葉をリピートしている。

「わたしは帰ってくるために出ていった...」


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