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痛み

結婚まで考えていた人との終わりが見えかけた時 大袈裟ではなく、もう人生終わりと思うほどつらく苦しかった。 もう立ち直れないと思った。 これまで私たちを応援してくれた人たち 共通の友人、知り合い、職場の人、お互いの親、 全部を裏切るのがとてつもなく怖かった。 これから合わせる顔もない、 どんな風に思われるんだろう。 考えれば考えるほど胸が苦しくなった。 いまでも、それを思うと苦しい。 他に方法があったんじゃないかと 無駄な思いがよぎる。 でも、私は幸せになるんだこれから。 め

    • からだのもよう

      生まれつきのアザがあったり 小さい頃の傷が残っていたり はんこ注射の痕や 火傷の痕、手術の痕も あるかもしれない。 私には、生まれつきのアザと 小さい頃に派手に転んで ひざに傷が残ったまま。 それから、自傷の痕がたくさん。 人が何を言おうと、 これは私が、闘ってきた勲章。 身体のいろんなところに 美しい模様が並んでる。 人はそれを良くないことと言うけれど 私にとっては生きた証。 壊れそうな心を、必死に保ってきた 私の身体は、唯一の戦友。 心は目に見えないけど きっと傷だ

      • 傷の正体

        私が自傷を始めたのは13歳の頃。 私の両親も離婚して、母とふたりで暮らし始めた。 母はしばらくして再婚すると言った。 でも私はその相手が嫌いだった。 同じ空気を吸うのも気持ち悪かったし 同じ床の上を歩くのも嫌だった。 だから私は素直に反対した。 すると母から捨てられた。 「じゃあお父さんのところに行けば?」と。 ある日学校から帰ると、母の姿はなく、 テーブルの上にあるものすべてが血だらけで 血のついたカッターが転がっていた。 どこに行ったのかわからないまま 数日一人で過ご

        • わたしのたからもの

          シングルマザーになって、10年目。 10歳になった娘は、常に手鏡を持ち歩き、 おしゃべりと食べることが大好きな女子に成長し、 ガールズトークにも花が咲くようになった。 親子仲は良い方だと思う。 ずっとふたりでやってきた。 つらいこともたくさんあったし毎日ふたりで泣いた日々もあった。 でも、それでも、なんとかふたりでやってきた。 もちろんたくさんの助けもあった。 保育園の先生、職場の理解、友達の優しさ。 だけどその苦しみを共に過ごした、私と娘にしかわからない、 ある種の絆という

          心の天気は変わりやすい

          雨、ときどきくもり。 さっきまで幸せに満ちていたのに、 次の瞬間、突然気持ちに霧がかかって、 ぽつぽつと雨粒が落ちてきて、 あっという間に大雨に見舞われる。 そんな自分でもコントロールしきれない 情緒の波に悩まされながら生きてきた。 HSPという言葉が聞こえ始めたのは どのくらい前だろう。少なくとも、 私がその言葉に出会ったのは、ここ1年以内のことだ。 自分のことを、繊細な性格だと思ったことはなかったけど、 私の不調の原因が、HSPによるものだとしたら 思春期から抱え続け

          心の天気は変わりやすい