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憲法9条を議論している場合じゃない

安倍元首相が、ウクライナ情勢を受けての共産党・志位委員長による憲法9条発言に対し「空想の世界」「思考停止」と批判した。

安倍元首相、志位委員長という右派と左派の代表格のような二人が憲法9条についてそれぞれ言及し、それを機にネットで再び議論が沸き起こっているが、前に書いたようにこの議論は噛み合うことがない。

そもそも、ウクライナ情勢を受けて憲法9条の議論を行うこと自体が論理飛躍しており、ナンセンスと感じる。

憲法9条について

ウクライナ情勢を受けてのこれら発言をみて、憲法9条について何を思うかといえば、憲法9条を改訂してもしなくても、どちらでもよい。

前の記事でも書いたが、志位委員長の「ロシアに憲法9条があれば戦争は起きなかった」という主張は正しいし、それを受けての「ウクライナに憲法9条があっても戦争は起きた」という主張も正しい。

ただし、ウクライナは、憲法9条があってもなくても侵攻されただろうが、憲法9条があったから侵攻されたわけでも、なかったから侵攻されたわけでもない

ウクライナは、NATOという軍事同盟に加盟していなかったから侵攻された。ウクライナ情勢を機に議論するなら、憲法9条ではなく軍事同盟となる。

そのため、ウクライナ情勢を見て憲法9条改訂が必要か否かでいうなら、どちらでもよい。憲法9条が今のままでも日米安保という軍事同盟は存在するし、憲法9条を改訂しても日米安保は継続する。

憲法9条は施行以降、自民党によって何度も解釈を変えた上で法律が制定されてきた。また最初、憲法9条に唯一反対し、その後も改憲を主張していた共産党は、2000年頃から解釈を変えて護憲へ立場を変えた。

このように、憲法9条に対してはっきりしている事実は、如何様にでも解釈は変えられるということである。憲法9条は、平和を宣言した画期的条文などではなくパリ不戦条約や国連憲章のほぼコピペ条文であり、共産党が最初に主張した通り「空文」になっている。このように、憲法9条は実体のない条文であり、右派と左派にとってお互いを非難するためのわかりやすいシンボルでしかない。実体も効力もあるのは国内法と条約になる。

現在の日本の安全保障と照らして、それら法整備について議論が必要になったということであって、ウクライナ情勢をもって憲法9条の賛成/反対を主張し合うのは的がずれている。

ウクライナ情勢を受けて必要な議論

安全保障戦略は、仮想敵を想定して戦術に落とし込むわけで、ウクライナ情勢により、仮想敵が取る戦術も見えた。ウクライナ情勢を受けて日本の安全保障について議論するなら、具体化した仮想敵に対する戦略と戦術になる。

もしもウクライナのように他国から攻撃、もしくは攻撃準備がなされた際に日本は何ができるのか、できないのか。原発を狙って攻撃を受けた場合のシュミレーションはどうなるのか。

さらに、もしもアメリカがロシアのように他国へ侵略行為をした場合、日本はベラルーシのようにならないか。安保法において曖昧な、存立危機事態についての具体的な解釈を進められないか。

安倍元首相も志位委員長も、ウクライナ情勢を受けて憲法9条議論を起こすのはナンセンスであるし、ウクライナ情勢の政治利用に過ぎないと感じる。二人の政治利用に乗っかって、ネットで憲法9条賛成/反対という、そもそも噛み合うことのない議論を繰り広げるのもナンセンスである。

今議論するべきは、ウクライナへの支援、ロシアへの制裁、そして自国の安全保障のための具体的な法整備のはずだ。

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