「yes but法」は使えない
日曜洋画劇場での「さよなら、さよなら、さよなら」で有名な、映画評論家・淀川長治氏の言葉に以下がある。
どんなにつまらない映画でも、一つくらい印象的なシーンや好きなシーンはあるもので、だから、淀川氏の言葉に共感する。
また同時に、「一つくらい褒めるところがある」という考え方は、対話ということに対しても思うことである。
「yes but法」ではなく「praise and法」
対話法として、古くから言われる一つに「yes but法」がある。これは、相手の意見、特に自分とは反対意見であっても、まずは「はい(yes)」と受け入れた上で、「しかし(but)、私の意見は…」と続ける話法になる。
人は、自分の意見を否定されると、よい気分にはならない。否定した人に対して敵意や反感を持つこともある。そのため「yes but法」は、まず相手の意見を否定せずに聞き入れる、そこがポイントになる。
この「yes but法」は、自分も新人の頃に教えられたし、その後に実践もした。ただ「yes but法」は、結局のところ「but」を伝えることになるので、相手の意見を否定する。
そのため、否定されて敵意を持たれることを、多少和らげる程度しか効果がない。
より効果があるのは、相手の意見を受け入れるというよりも、褒め称える(praise)、そして最後まで相手を否定しないで、相手の意見と自分の意見を結びつける(and)、「praise and法」とでもいえるような話法だと思っている。
実際、この「praise and」の話法は、交渉や会議の場でも使うし、また、プライベートでも用いている。
「praise and」とはどういうことかというと、以下のような会話になる。
例えば、人力の渡し船を巡る、部長とA君という若手社員の会話があったとする。
この会話において、A君は「渡し船にエンジンだなんて、随分と時代遅れなことを…」と思いながら、部長の意見を称賛して、気分をよくさせる。そして、部長の意見を否定することなく、部長の意見を取り入れて、自分の意見を伝える。
A君の最後の意見は、「車のエンジン」という部長の意見を取り入れているので、部長はA君の意見を真っ向否定しづらい。そして部長は、いずれ、橋を架ければ渡し船にエンジンは不要(そもそも渡し舟が不要)だったと気づくことになる。
「praise and法」というのは、こういう対話になる。
「praise and」は処世術
ディベートであるとか討論、または論破ということが注目されることがあるが、それはパフォーマンスとして面白くても、仕事や生活という実際の場面においては有効と思っていない。
意見の対立に対して、例え相手を打ち負かしても、遺恨が残るためである。
意見の対立に対して、「勝ち負け」を決める争いと捉えていたら、例え勝利を得ようと敵を増やすだけである。処世術として、敵は少ないに越したことはない。そして同時に、自分の意見が正しいと思うなら、自分の意見は通したい。
そのため、「おかしなことを言ってるな」という意見に遭遇したら、まずは、自分がホストかキャバクラ嬢になったつもりで、相手を褒め称える。さらに興味を持って(もしくは持ったふりをして)質問を重ねる。相手は気分がよくなってペラペラ喋り出す。その喋り出した中で、肯定できる部分を探す。その肯定できる部分と自分の意見を結び付けて相手に伝える(あなたと同じ意見です、と認識させる)。
そうすることで、対立軸にはせずに、敵を作らず自分の意見が通りやすくなる。
もしかするとこの方法は、狡猾といった印象があるかもしれないけれど、信念と狡猾の使い分けこそ、処世術と思っている。
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