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小学校など : 学校のはなし第一部(その2)〜肩を張らずにフランス32
国語に問題があっても算数はそんなでもないんじゃないの?という質問が出るだろう。確かにそれほどでもない。それは事実。ただ「国語と比べると」ということだ。算数にしても暗算に徹底しないとか九九を定着させないとか分数は先送りとか色々あるが、進みが悪いだけで壊滅的というほどではない。
それじゃあ他の科目は?
日本の小学校でやった白地図。県庁所在地や他県他地方の特徴を教わったことは今も記憶している。自分の住んでいる街を知ることもカリキュラムの一部だったような気がする。日本もフランスもこの点では全く同じ。正直、理科に関してはあまり覚えていないが、西洋音楽の歴史、バロックからロマンティックまで聴いた記憶がある。グリーグのペールギュントに感動したことは忘れられない。
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それから家庭科!白状すると、フランスに来てなんでも自分でやらないといけなくなって一番役に立ったのが、小学校で誰もがやった家庭科の知識。料理はもちろん、この時教わった裁縫の基本は現実に役に立っている。靴下の穴塞ぎやズボンの裾上げは自分でやる。買った店で裾上げをしてくれることは稀だからだ(大きなブティックだとやってもらえるのかも?)。日本の小学校では現在もこの素晴らしい教科が残っているんだろうか?
どうしても脱線してしまう。
フランスの大きな河川。ローヌ川、セーヌ川、ロワール川、ジロンド川、それからドイツとの境を流れるライン川。県と地方の位置と名前。気候と特産物。日本と似通った内容のはず。シャンパーニュ地方はどの辺にあるとか、地中海気候はどんな特徴があるとか。覚えているかは問題ではなく一度は覚えたというのが大切だと思うのだがどうだろう?現代の若者はライン川とミシシッピ川の区別もつかなかったり、住んでいるのにロワール川を知らなかったりする。恥ずかしい限り。
さっき話した裁縫(家庭科)にしても、「教えてくれ」「やってくれ」と言われることはあっても「やってやる」言われたことは一度もない。学校のカリキュラムにないのだと思う。
PCやタブレットの使い方はしっかり教わるようだ。これは全世界共通。でも学校で教わる必要があるんだろうか?いまだに納得がいかない。Go⚫︎gleでも使えれば欲しい情報は大体入るし、その時間があったら針に糸を通すことでも覚えたほうがいいんじゃないかと思ってしまう。
小学校もそうだけれど中学校に上がると、基礎ができている子、できていない子の差がいよいよ顕著になる。読み書き算数が中途半端なままでほぼ自動的に中学校に上がるから、この皺寄せは大学入学レベルにまで及ぶことになる。
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日本では「ゆとり教育世代」と呼ばれた時期があったらしいが、フランスでは生徒に努力をさせることは「悪」と思われている節がある。向上心を煽ると格差が広がる一方なので、バーを下に合わせることを厭わない。宿題なんか出すと先生が上から絞られる。現状を理解している親は、自分の記憶を頼りに家庭で穴を埋めようと努力する。その結果、格差をなくすべく始まった教育改革が返って広げる皮肉な結果となってしまった。中学校では反抗期にかかることもあり差は広がる一方で、深刻な問題となっている。(実は「国民痴呆化は国の策略」と考える人もいる。バカな民衆ほど扱いやすいということか?)
肩を張らないはずなのに張ってしまった。大変申し訳ない。長くなりすぎたし中学校以降の話は場を変えてしようと思う。
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