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日本の味が恋しくなると…(その1)〜肩を張らずにフランス71

90年代、フランスでも地方にいると日本の食料品や調味料を手に入れる方法はほとんどなかった。まだまだ日本の食材が東南アジア産も含めてフランスの地方にまで届くには十分の需要がなかったようだ。直輸入品に関してはパリに専門店が一件あるだけだった。

一人で長くこちらにいると日本の味が恋しくなる。これまでの人生、ずっとその味に慣れ親しんできたんだから当然そうなる。ホームシックは何ともなかったのに日本の味の不在はずっとフラストレーションの元だった。

初めて国際航空便小包(SAL)を受け取った時の感動は今も忘れられない。いくつかのインスタントラーメン、ガサガサのお菓子に混ざってカレールーも入っていた。日本にいた時は料理をすることはなかったのが、箱裏の説明を見ながら恐る恐る作った初めてのカレー。当時の大家(家に住み込みだったのですぐ階下にいた)にお裾分けをしたのもはっきり記憶している。その後、単純な電熱調理板を使って部屋で料理していたのがバレ(ヒューズがとんだ。それと匂い)、ガレージならやっていいと言われたことまで覚えている。

今でも見つかるこのタイプの電熱調理板

ゆうパック特大とはいえ内容量はたかが知れている。国際郵便だけに頼るわけにはいかない。

耳情報で中華(ベトナム、カンボジア)の惣菜屋のありかを聞き、色々漁った。まだキッコーマン醤油も知られていない時代。似通ったものをかき集め、焼き飯、ラーメン、焼きそばあたりから作るようになった。味は違っても自分でどうにかできるという事実が嬉しかった。

今ではスーパーでもこうして見つかる

この当時、無くて寂しかった筆頭がだしの素。中華かベトナムのブイヨンキューブの様なものしかなかった時代、味噌汁ができないのはかなり辛かった。当たり前だがインスタントはなかった。現在でもだしに関しては小袋くらいしか地方では見つからない。パリの専門店でネット注文するか帰国した際に業務用1kgを買い溜めしておく。

味覚のグローバル化には感謝している。フランス人の間(フランスにいる元アジア人かもしれないが)で需要が出てきたんだろう、日本と韓国の食材がちらほら現れる様になったのはその後間もなくのことだった。

醤油(しつこい!)、とんかつソース、チューブわさび、米(イタリアで取れるいわゆるカリフォルニア米)、紅生姜、出前ラーメン、味の素、ミツカン酢、みりん、SBカレー。カツオだしも小袋入りなら手に入るので、大体のレシピは地方であってもこの中華惣菜屋で見つかるもので可能になった。

最近では糸こんにゃく、大根、えのき、豆腐、(まれに)長いも、Ajinomoto中華だしと冷凍餃子、冷凍エビフライまで手に入る。

「コンニャク」と書いてある…

これに中華の調味料とキクラゲなどの材料を加えれば立派なアジアレストラン風メニューが準備できる。在庫が切れない限りは日本の味の7-8割はカバーできるんじゃないだろうか?もう以前のようなフラストレーションは感じなくて済む様になった。


続きます

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