ただただ長い時間をどうしましょうか?
今一人暮らしをしているわけだが、冷蔵庫がほとんどカラだと気づいてもう1週間は経っている。
その間買い物に行ったのが2回。2回目は今日。大したものは買っていない。たまごとキュウリとヨーグルトくらい。これで次に買い物に行くのは3−4日後。一人だとあれもこれもと買い込むことはないようだ。
これまで安売りとかで手付かずになっている肉類が冷凍庫に残っている。サラダは前回買ってきた。確かにたまごさえあれば後は何とでもなる。
水曜日は昼に作った中華丼を夜も食べた。一日オフだったのでレーズンパンを焼き、クレーム・ブリュレを仕込んだ…
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一人でも二人でも家でやることの量は同じだと思うのだが(むしろ増えてもいいはず)、逆に時間を持て余している。一体どういうことだ?普段やらない洗濯物までやろうかとさえ思う。
忙しい時期でもあり仕事量が減っているのではないし、いつもやらないといけないことはやっている。
どうしてこうも時間の長さの感覚が違うんだろう…?何とはなく相対性理論という言葉が頭を掠める。普段何をやっていたんだろう?
料理にそんなに時間を割いていたっけ?ピアノもそんなに長く弾いていたっけ?ネコまで時間を持て余しているように見えてくる…
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定年して仮に一人になったらこんな生活になるのかと思うと何とも張り合いがない。一日一日が起伏なく繰り返される。季節は変わるのでやることはある。それだけ。
「未亡人」という言葉は男にも使うのだろうか?「未だ亡くならざる人」だから男女の区別はなさそうだ。自分がそうなったらいよいよ時間を長く感じそうで途方に暮れる。
仕事人間だと思ったことはない。ただ偶然趣味が仕事になった。それがせめてもの救い。定年後も同じ仕事(趣味)を続けられる。
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これが人間のサガなのか、純粋に自己満足では生きられないようで、何かの役に立ちたい気がしてくる。人付き合いはいらないと思っているにも拘らずだ。何とも面倒臭い…
こうなったら料理でもお菓子作りでも畑でも庭掃除でも音楽でも何でも腕を上げて、いつか使えるようになっておくのがいいかもしれない。すぐの目的はなくても、上達すること自体の満足感はあるし、とりあえず今夜のご飯が上手くできたらそれだけで嬉しいし…
あげた腕を披露する機会がとうとう訪れなくても、嫌でやってきたのではないのだからそれでいいんだろう。
持て余すくらいなら使ってやればいい。長く感じる時間にもそれなりの価値は見つけられそうだ。
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