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一人っきりの定年後生活を疑似体験した〜肩を張らずにフランス130

と言ってもたった2日間…

一人っきりで留守番することは滅多になかった。
ひょっとしたらこれが2回目かも?

あんまり珍しいんでちょっとだけ期待していた。

***

 1日目

 仕事のない日だったので何をしても良かった

 まずは昼ごはんの準備
 知らず知らず3食分くらい作ってしまう
 やった後でしまったと思うが仕方ない
 残りは明日の夜仕事から帰ってから食べよう

 朝早起きしたのでここで2度寝する

 ヒーティングは薪をくべるほど冷たくなっていない

 昼になったのでさっき作っておいた昼ごはんを食べる

 昼寝をする

 買っておいたマドレーヌの型を出してきて作ってみた
 結構上手くいった
 全部で12個できてすぐ2個食べた

 まだ15時
 手持ち無沙汰になる
 ピアノを鳴らす気にもならない
 庭を廻り白玉ねぎを1個引っこ抜く

 ヒーティングはまだ冷たくない

 時間が進まない

 15時半
 晩ごはんには時間がありすぎる
 車で買い物に出て卵やらハムやらを買ってきた

 ようやく晩御飯の準備をする
 ゆっくりやっているつもりでもすぐ終わってしまう
 あれこれ考えずに一品だけ

 その後はnoteの記事を叩いたりネットをぼんやり眺める
 普段でも夕刻は長く感じるのがいよいよ長く感じる

 ヒーティングに薪をくべる

 シャワーを浴びる

 眠くなるまでゴロゴロしてやっと電気を消す

***

これが1日目。2日目は仕事があったので半日は埋まっていた。

それにしても何もない日がこんなに長く感じられるとは想像していなかった。

定年後の一人生活は自由と言えば自由。1日目のこんな生活が死ぬまで続くと言うか、1日目のこんな生活が続いた果てに死ぬわけで、何ともメリハリのない人生の最後になりそうだなと思った。

一つ気づいたこと。

定年後の生活が単調だということではない。そんなことは分かっている。それを言うと今でも十分単調だ。

« Spectateur »傍観者、眺めている誰かがいないというのがこれ程張り合いのないものだということが分かった。

ジッと眺められているんじゃない。
ただその存在を感じているだけ。
わざわざその人のために何かをするつもりでなくても、結果的にそうしていることになる。


日常生活の張り合いなんてそんな所からも来ているんだと発見し、一人で感心していた。

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