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終活はできる内にしておきましょう

 今、ギリギリの時になって自分でできないことが多過ぎると感じているようだ。

 以前にもした義理の両親の話。

 離れたところに住んでいるので「ちょっとそこまで」という気分で行ける距離じゃない。行けないので、現地でできることを最大限やってもらえるように、去年の11月から色々お膳立てしてあげている。

 主なものとして食事のデリバリー、看護婦の訪問、家事手伝い。

 自分から援助を求めようとしない人たちだった。今もそこは変わっていない。ずっと助けなしでやってきたからそんなものはいらないと考えている。手術が必要なほど腰痛がひどくなり、白血病も発症し、すでに甲状腺も摘出されている。耳も悪く電話の呼び鈴さえまともに聞こえない。ここまで来てやっと今挙げた援助を受けることを納得した。

 もう10年以上、うちの近くに引っ越しするなり、アパートを借りるなりした方がいいと勧めてきた。断固として耳を貸そうとはしなかった。今の状態になって初めて身近に親族のいない不便さを感じているようだ。「老いては子に従え」という格言は真実ではないとしても現実的だと思う。

 「終活」とタイトルに挙げた。終活をできる健康状態でもメンタル状態でもない。事既に遅し。身辺の整理なんかもってのほか。自分の世話もままならない。こちらは仕事もあるので、正直言って書類や遺産なんかは事後処理にせざるを得ないだろう。

 医者に診てもらい、次までの処方箋をもらい、注意事項などを事細かに指示されてきているようだが、本人の頭では処理しきれていない。せっかくの治療も自分で蔑ろにしてしまっているのが現状。

 インターネットもなく携帯電話もない。普通回線電話でフォローをするしかないので週1以上の頻度で連絡を取っている。その電話も受話器がきちんとはまっておらず、話し中のことがしばしば。自分で自分の首を絞めているようなものだ。

 老人ボケはあるがアルツハイマーではない。頭は割とはっきりしている。最良の解決策は老人ホームしかない。これは頑なに拒絶している。

 我慢くらべの様相を呈してきた。いつか折れるのか、このまま最後を迎えるのか。あの人たちの頭の中を覗けないのが残念だが、自分たちが間違ったことをしたとは金輪際思っていない。悪いのは周囲、とりわけうちが悪の根源なのだろう。何をしてあげようと感謝されることはない。まるで自分たちが全部お膳立てしたかのような顔をする。もうどうにでもなれ…

 心底ああはなりたくないと思う。

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