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音楽の思い出といえば、、、(その1)〜肩を張らずにフランス56

だれにも初めての思い出はある。

幼稚園に入る前だったはず。

うちにこんなレコードプレーヤーがあった。赤青黒のペラペラのレコードも何枚かあった。その中に「美しき蒼きドナウ」があって、ジャケットがモネのムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの絵だったのをはっきり覚えている。

まだ音楽が何物かもわからない子供だった。それでもどこか惹かれ、絵を見ながら聞いた。

幼稚園に入った年に両親がオンキョーのステレオシステムを買った。当時はまだ珍しいセンサラウンド方式で背後にも薄いスピーカーが2つ付いていた。

兄がその頃ピアノを習っていたので、初めて買ったLPレコードはバックハウス演奏のベートーヴェン3大ソナタと、カラヤン指揮のベートーヴェン交響曲5番「運命」とシューベルト交響曲8番「未完成」だった。その後子供向けの小曲集も買ってくれた。「ペルシャの市場にて」「口笛吹と子犬」なんかが入っていた。これしかレコードがなかったので擦り切れるほど聴いた。今でもこのレコードは両親の家にある。

自然にピアノを習うことになったが、両親曰く「お前は兄ちゃんの横で聞いていて先になんでも答えていた」らしい。5年間習ったが、1日30分の練習が特に楽しいと思ったことはなかった。小学校6年に上がる時に、以後学校が忙しくなるだろうからという理由でやめてしまった。

やめて2年間ピアノには見向きもしなかったし、弾こうという気にもならなかった。

また弾いてみたいと思ったきっかけは、中学2年の音楽の授業だった。ドビュッシーの「雪は踊っている」を聴いて体が震えた。こんな音楽があるんだと思った。

すぐに楽譜屋に飛び込んで「子供の領分」を買ってきて弾いてみた。いや、弾いてみようとした。小学校5年で辞めたくらいのレベルでは太刀打ちできるものではなかったけれど、そんなことはどうでもよかった。懸命に、けれども楽しく譜読みをした。

左手の弱まり方がとんでもなかったけれど、誤魔化し誤魔化しなんとか弾くふりをしていたんだと思う。(それは今でもそう。今頃になってハノンやらツェルニーやらをがむしゃらにやっている。50歳を過ぎてから何かに目覚めたらしい。)

それからというもの、気になった曲があったらレベルも確かめずに楽譜を買い漁った。ほとんどが全音楽譜の青帯(わかる人はわかる!)で今でもお世話になっている。

完全に自己満足の世界で、細かいことは全く気にせず、引けている気になって喜んでいた。人はこれを「趣味」と呼ぶんだろう。

高校に入って中学からの取り巻きに誘われてコーラス部に入らされた。ピアノを弾いたわけではない。テノールを歌っていた。2年の時には指揮までやった。全国合唱コンクールの地方予選に出たのは黒歴史になっている。

大学では文学部だった。2年間はサークルにも入らずに塾のバイトばかりしていた。3回生に上がった時、誘われてインドネシア音楽のガムランを体験した。そのままずるずると入ってしまった。

ここまでを振り返ってみると、なんと優柔不断なことばかりしていたんだと恥ずかしく思う。自発的に決めたことが一つもなかった、、、


続きます

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