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昭和の流行りモノと英語

 スネークマンショーをご存知だろうか?70年台の終わりに一世を風靡したYMOイエロー・マジック・オーケストラ、プロデューサーの桑原茂一氏、アナウンサーの小林克也氏、それから声優(あのデスラーの声)の伊武雅刀氏が中心になって作り上げた架空のエンターテイメントショー。LPはCDとして復活している。YMOのアルバム中にも、かの有名なライディーンなどと混ざって上等で少し下品なジョークをタブーなしに披露してくれる。

 高校時代にハマってLPを全部買った。とくに「急いで口で吸え」は秀逸。下品さを抑えたかなり辛辣なジョークは今聞いてもまるで色褪せない。今も昔も同じパッセージで同じように吹き出させてくれる。冷戦時代真っ只中でもあり、キツイ風刺も時代を反映する。ほぼ全部丸暗記するほど聴きまくった。今聴いてもイントネーションから間の取り方まで完璧に覚えている。数年前にCDでYMOのアルバムと一緒に買い直した。

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 さてこのCDを今聴き直してふと思ったのが英語の使われ方。あの頃は外国語と言えば英語一択の時代だったんだとハッキリ分かった。  
 まだまだ英語そのものが真新しかった時代。英語を挿入することがある種のステータスだったようだ。
 小林克也氏はアナウンサーだったが、彼は英語通訳を当時まだアメリカだった沖縄でやっていたと言っていた記憶がある。その後ラジオの英語講座にも出演し、受験生界隈で知らない者はいなかった。
 小林克也氏の英語は完全にネイティブ。スネークマン咲坂守としても英語を披露している。
 誰もがああいう風に英語を喋りたいと思った。それは英語であってドイツ語でもフランス語でもなかった。

 歌謡曲の中でも英語が混ざっているだけで何となく流行モノ風になった。「恋に落ちて - Fall in Love -」「Sweet Memories」などあげ出すとキリがない。
 とにかく英語。なんでも英語。英語がまかり通る時代だった。

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 英語の喋れる芸能人はいただろうか?当然いたんだろうがパッと頭に浮かばない。それほど希少価値だったということになる。
 今は芸能人界隈で英語のできない人はいないだろう。それほど広まっている。フランス語でさえ珍しくない今の時代。それでもテレビをつけると英語至上主義が目に飛び込んで来る。英語を喋って得意げにマウントを取る様が嫌味に見える。

 少し前に日本の現在の歌謡曲について一考してみたが、相変わらず英語一択。日本語まで英語化してしまっているのには閉口する。

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 共通ビジネス語として英語が重宝されるのはわかる。でもそれはビジネスの世界での話。単なる意思疎通の手段が何故ここまで文化の中に侵入する必要があるのか?実はフランスとフランス語を選んだのも、英語のそのあたりの「傲慢さ」に嫌気がさしたからでもあった。
 ちなみにフランス人の中には「たかがイギリス語」と英語を揶揄する人も多い。 « Anti-Américanisme »の話もいつかするかもしれない。

 昭和50年代。高度経済成長が終わりオイルショックを経験したあの時代の英語と現代の英語とでは使う人々もその扱いも変わったはず。にも関わらず英語至上主義は相も変わらずだ。

 どこか違うと感じるのはフランス人になった妬みからではないと思うのだが、実のところはどうなんだろう?

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