ちょっとだけカルチャーショック(その3)〜肩を張らずにフランス39
「日本での違和感」
海外生活が長くなると帰国後に誰もが持つ「違和感」。
「こんなんだったかなあ」で済むくらいなら軽い方。
「こんなはずじゃなかった」となってくると少し危ない。
「もう向こうに帰りたい」あらあらかなり重症。
日本以外の環境に頭と体が慣れてしまうと、「日本人」が非常に特異な人種に見えてくる。以心伝心とまではいかなくとも、道端で、交差点で、スーパーで、駅で、空港ですれ違う人々はまるで頭の後ろにも目がついているように動く。ぶつからないだけではない。こちらの動向を察知するが如く予測行動をする。
かく言う自分も日本を立つ前はサラリーマンで大阪地下街をスラロームしていた。フランスにいるとはいえ日本人の行動習慣が完全に抜けたわけではない。早足だし、後ろにも気をつける。でも日本の環境に自分を置くと、、、ウサギとカメ。外国人から「忍者か?!」と思われるのにも納得してしまった。
仮に軽ーく接触するかしそうになった場合、間違いなく「すみません」と頭を下げられる。「いや、こっちが無理に通ろうとしたんですが?」と思おうが関係ない。真っ先に「すみません」と言われてしまう。「はあ、そうですか」でおしまい、、、でない時があった。
すれ違った途端にちらっとこっちを見て「ナンヤコイツ…」とかなんとかぶつぶつ言うのが聞こえた。「えっ?」と思ったがもう離れてしまっていた。日本人でもありフランス人でもある自分からすると、実に不可解で同時に「さもありなん」な経験だった。
外国人ツーリストから見ると「なんと礼儀正しい国民だ!」になる。フランス人としての自分でもそれには同感する。けれどもそれは裏の顔が見えない時に限ると思わないといけない。
如何せん自分は日本人でもある。裏も見えてしまうことがある。極端に言わせてもらうと、日本人ほど裏表のある民族はいないんじゃないかと感じることが、帰国するたびに多くなる。
「外面がいい」「内弁慶」は万国共通。特に「外面」は、せめてうちより良くしないと社会では通らない。自分も仕事場ではできるだけ愛想良くするし、子供相手ではどこか演技くさいこともする。
ただ日本人に限っては程度だけの問題ではないと思えてならない。
昔々「日本人とユダヤ人」という本を読んだ。日本は島国であると同時に非常に厳しい気候にさらされることから、長い歴史の中で「協働」を強いられた。米づくりを例に取ると、天候と梅雨を見極めた上で「他でもない今」総出で働かないと飢えるという環境だった。だから怠け者は「村八分」にされた。と言うような内容だったと記憶している。
お互いがお互いを尊重すると同時に監視する。何世紀にも及ぶ訓練が体と頭に染み込んでいる。現代でも深い所では変わってないように感じるのは自分が日本から出てしまったからだろうか?深読みが深読みで終わらず、そのさらに先を想像しながら人と接する生活には戻れるとは思えない。
両親と衝突することがあると、得てしてここに原因がある。
「そんなん言ってもうたらええやん」
「そう言ったらこう思われるからアカン!アンタはフランス人やからそんな風に言うんや」、、、
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フランスの今の環境で気楽に生活する身には、今更日本に戻ると言う選択肢はない。
さて今後、この「違和感」はもっと大きくなっていくんだろうか?それとも、、、
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