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言葉の癖と濁す技術

(昨日の続きみたいになりますが…)

 note を書いていていつも気にするのが婉曲、遠回しな表現。注意しないといつの間にか使っている。自信のなさを暴露しているようで真に心持ちが悪い。口語でも書き言葉でも同じ。使ってしまってからしまったと思っても口語の場合はどうしようもない。

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 文章を肯定形にせよ否定形にせよ言い切るには勇気がいる(お気付きだろうか?たった今書いたこの文章には「少し」勇気がいるとは書かなかった)。

 「少し」と言う言い方は万国共通で大変便利な表現だ。特に会話の中で頻繁に使われる。人によっては癖になってしまっている。フランス語では

  « un peu »

 コレを言いたくなると一旦腹にこらえることにしている。何故なら本音じゃないから。本音では « un peu »どころか « beaucoup »と思っているので誠意に欠けるしウソになる。

 « peut-être »

 「多分」。コレも考えなしに使ってしまっている。本気で思っているのに濁したい時に便利な言葉だ。

 日本語でも「多分…」「…だろう」「恐らく…」「…ではないだろうか」など様々なバリエーションがある。もちろんフランス語にもあるが、実は日本語の言葉を濁すレベルには敵わないのではないかと思っている。(←早速使っている)

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 話は変わって、日本語で最近気になる言い方が

 「……だから。」「……やから。」

 これで終止形。スタンドアローン。別に理由を聞いているわけでもないのに連発される。「……だから」何なのかは言わないけど分かれということなのか?
 念押しの意味を込めて同意を強いてくるように聞こえる。いきなり理由を足されても「うんうん」ぐらいにしか答えられない。文脈を飛び越えて突然これで終わる文を聞くことも多い。

 コレをフランス語で言うと « Parce que…… » « Puisque…… »になる。従属節のままで宙ぶらりんなので、フランス語ではコレだけで文を終わらすことはできない。
 もし理由をハッキリ出したいのなら« C’est parce que…… »のように言うはず。日本語あるあるの一つだと思うが結構気になる。

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 この例にとどまらず日本語には文を終わらせずに途中で止めてしまうケースが多いように思う。フランス語の言い方に慣れてしまっているからか、両親が誰かと話しているのを聞いたりするとイライラする。わざと要点を避けているようにしか聞こえない。宙ぶらりんの文章はそれに輪をかけることになる。

 行間を読ませるのが日本の文学の常套手段で、口語でも美徳と思われているからなのか?フランス語にも « demi-mot »というのがある。全部は言わないということ。でも日常の生活で難なくコレをやれるのは日本人だけだと思う。

 京都人の隠喩で「まあお茶漬けでも」は有名。コレを「早く帰れ」の意味にとれと言う方がどうかしている。笑うに笑えない。
 
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 どうしても話が脱線方向で発展してしまう。

 要点を避けることを « tourner autour du pot »と言う。蜜の入った壺の周りをブンブンと蜂が飛ぶ様子が目に浮かぶので好きな表現だ。   

 こう言った表現があるのだからフランスでも同じことが起こっているということだ。いきなり核心に触れるのは避けたいからこんな表現ができたのだろう。ただコレをするとやはり良くは思われない。「ハッキリ言え」と言われるのが目に見えている。

 ハッキリ言いたくない(言えない)から言葉を濁すのか、ハッキリ言わずに濁したままでも伝わるからわざと濁すのでは意味が違う。フランス人は前者で日本人はどっちも。ただし後者の場合はコンテクストを共有していることが前提になる。
 もしくは壺の周りをブンブン飛ぶうちに要点を分かれというのかもしれない。かなりの離れ技を日常的にやっているようだ。

 すごい技術だと感心する。

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