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「みんなの学校」が教えてくれたこと

「みんなの学校」が教えてくれたこと
木村泰子著 2015年

「あの子さえいなければ」

去年の11月まで全く同じことを思っていた。

私の中の“この子”はたくさんいた。

・席を堂々と離れる子
・ノートも教科書も出さず机の下に潜り込む子
・教科書に落書きをして楽しむ子

その子たちが休んだ時は本当に安心していた。

私はその子たちから学ぼうとしていなかった。

なんでこんなこともできないんだ!

日々怒鳴り、叱り飛ばしていあ。

著者の木村泰子さんは初めて大空小学校の立ち上げの際、ある男の子を見て思ったそう。

その子は大人から見ると和を乱す子どもだった。

この子さえいなければ、私の学校はよくなるのに…。

そう木村さんは思った。

しかし、あるエピソードでその考えが180度変化した。(詳しくはぜひ中身をご覧になってみてください!)

そのヒントがこの言葉だ。

「大人が少しでも変われば、子どもは変わる」

最も印象に残った。

その通りだなと思った。

しかし、変化とは恐いものだ。

なぜなら、今まで積み重ねてきた経験やプライドを一度捨てなければいけないから。

私の経験とリンクした。

学級経営や授業がうまくいかない理由の多くを子どものせいにしていた私がいた。

“暗いところにいると、明るいところはよく見える。
でも、明るいところにいたら、暗いところは全く見えない。
明るいところにいて、暗いところを見ようと思ったら、『みよう』と思わなければみえない。”

“そうやって見ようとしてくれる大人のそばで、子どもは初めて安心して笑顔を浮かべる。”


当時を振り返ると子どもたちを見ようとすら思っていなかった自分がいた。

自分のことで手一杯だった。

現在、アドラー心理学を学んでいる。

これとつながる学びが多くあった。

木村さんが本の中でおっしゃっていること、そのほとんどが教師と子どもには“人として対等”な関わりが大切だという内容たった。

子どもとして見ているから上から目線になり、反抗される。
その子自身が反省していても、大人(担任)から見たらまだまだに見える。勝手な基準を設けてしまう。厳しくしてしまう。

だから、木村さんはまずは大人が変わる必要があるのだと主張しています。それは、その子自身を人として尊重し、見ようとすることだ。

なるほどなと思う例があった。

教師はスーツケースのような硬い入れ物に子どもをしまい込む。
すると子どもの形は皆一緒ではないので、形を無理やり変えてギュウギュウ詰めにする。
それでは、子どもも教師もしんどい。

ならば、こちらが入れ物を変えてしまう。
風呂敷で包んでしまえばいい。
結び方も自由自在。子どもの形を変える必要もない。
優しく包み込んであげられる。

すなわち、こちらが“変化すれば”いい、そう木村さんはおっしゃっていた。

私たちは大人だ。
学校に通うのは子どもである。
そして、教師と児童・生徒という立場の違いがある。

しかし、どちらも人としては同じであり尊重されるべき存在だ。

上から押さえつけるのではなく、「困っているのかな?」とその子の暗い部分に入り込んでいく。
「どうしたの?」と問いかけてみる。
その子自身を見ようとする。
丁寧にお願いしてみる。

そんな私たちの変化が必要なのだと読んでいて強く感じた。

他にも
・学校という存在はどういうものか
・学校を“開く”とは何か
・“大変な子”とレッテルを貼られ続けた子どもたちと
 の奮闘記
など、魅力あふれる内容で盛り沢山だった。

厳しい言葉もいくつかありましたが、今の自分を変えたい!と思える本だった。

先入観で子どもを見ない。
自分の目でその子を見て、感じ、関わる。

教育の根っこについて改めて考えさせられた。

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