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夢のはじまり

僕は日本の #スポーツ組織 で約10年近く働いていました

#東京オリンピック が決まった瞬間も、その前も、その後も、日本のスポーツ組織の中で #オリンピック に関わる事業をはじめ、様々なタスクに従事していました。仕事はそれなりに好きでした

でも、辞めることにしました

Tokyo 2020というマイルストーン

理由を述べると、ネガティブなことだけで終わってしまいそうですのでここでは詳細は控えますが、いつかきちんとお伝えできればと思っています。なぜなら、そういった経験もあって、今僕は #スイス にいる訳であり、お伝えせずして、このnoteの趣旨を完遂することはできないからです

#Tokyo2020 が決まって以降、特に競技連盟におけるガバナンス問題や、オリンピック招致における巨額マネーの使途不明問題、アスリートやコーチをはじめとするインテグリティの欠如、ドーピング問題などなど、枚挙に暇がないほどスポーツ界にはネガティブな話題が尽きません。僕がいた場所も似たようなものでした

それでも10年も続けられたのは、スポーツがもつ潜在的パワーや付加価値、なによりスポーツのすばらしさを自らで経験しており、それをもっと世間の人々に伝えて、スポーツを通じたアクティブで健康な社会の実現ができればと心から願っていました。ですが、パワハラ・モラハラ・セクハラが日常で、いつ爆発するか予測できない爆弾みたいなものを背負いながら、夢も目標も踏みにじられる経験を幾度となく味わい、それでも夢のために、家族のために、必死で食らいついていました

多くのアスリートが感じているように、Tokyo 2020は僕にとっても大切なマイルストーンでした。しかしながら、2016年5月、ある出来事をきっかけに僕の中で何かが壊れていくような感覚を経験します

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家族と仕事

そんな時でした

妻が「もういいんじゃない?」と、僕の背中をそっと押してくれました。辛そうな姿をみるのが辛かったと、のちに振り返った時にそう教えてくれました。当時も、これまでも、そして今も、妻には感謝しかありません。いつだって、妻は僕を一番に理解して、一番の味方で、一番に支えてくれるかけがえのない存在です。そして、可愛い子どもたちも

僕は仕事より、家族と多くの時間を過ごし、妻と一緒に子供の成長を見守ることを優先することにしました。Tokyo 2020も仕事ではなく、テレビでも会場でもいいので家族と一緒に観戦して、アスリートのパフォーマンスに感動して、生まれ育ったホームで行なわれるオリンピックを通じて、家族みんなでいつか共通のスポーツを楽しめたらいいなと思うようになりました

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ローザンヌの同僚のひとりに僕のバックグラウンドに似たドイツ人がいて、彼女も前職で朝から晩まで仕事漬けのような日々を過ごしていたそうです。しかしながら、ある出来事を境にその生活に価値ややりがいを見い出せなくなり、自分のやりたいことをして生きていこうと決めたというのです。なので、彼女は現在60%の契約で、時間になれば退社し、仕事以外の時間は趣味を副業にして、パートナーと楽しく過ごしています。彼女以外にも、ライフスタイルに合わせて契約条件を変えている同僚が多数います

働き方の #ダイバーシティ 実現のためには、こうした柔軟性が組織には必要です。そしてそれを理解し、認める心も経営者のみならず働く全員に必要です。スイスは、そういった観点で、従業員にやさしい労働環境が日本よりも整っています

物語は突然に

人生って不思議なもので、何かが終わる時、何かが始まります

夢もそうです
ひとつ夢を叶えると、また新しい夢をみます

僕がスイスにいくことを決断した時も、そうでした

転職して新しい環境で全てがうまく進み出したと思っていたのに、2016年晩秋、ある人との再会で僕は突然に、それはもう、大きくて、いや大きすぎて、とんでもなく大それた夢をみるのです。今となっては、良き理解者であるはずの妻も、「応援しなきゃよかった」といいます笑

久々の再会で終わるはずだったのに、つゆにも思わなかった #ローザンヌ で働くという挑戦

やれる自信は全くなかったのですが、やらないで後悔するより、やって後悔しようと思うようになりました

その時、35歳

僕の大きすぎる夢が静かにはじまりました

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