起こることはみんな偶然

今日はお出かけして蓄音器の会に行くはずでした。慌ただしく支度して駅に着くと改札が閉じていて人で溢れています。人身事故で電車が止まっているのでした。

タクシーは行列、代替手段で回り道をしたとしても目的地にたどり着く頃には会が終わっています。仕方なく友人に連絡して諦めました。

こんなこともあるさ、そう思って気持ちを切り替えてやり過ごしました。そんな時、いつもはついつい起こったことにはみんな理由があって必然だと思ってしまうのですが、今日はふとこう思ったのです。

大抵の事は理由なんかない。少なくとも合理的な理由なんかないと。理屈にならない屁理屈とか人の感情に振り回される理不尽なことはあっても、必然的に起こることはほとんどない。

つまり世の中の大抵の事は自分ではどうしようもないこと。偶然の積み重ねです。それなのに何が悪かったのかとか、どうすれば良かったのかとか、考えるだけ無駄だと。

受け流せ。よく聞く助言ですが、当事者には至難の業です。生活が掛かっていたり人生を左右されたりするのですから。でも、自分を責める必要もないことまで悔やんだり悩んだりするのは自分がかわいそうです。ましてや誰かの理不尽な作為に苦しむ必要などあるわけもなく。

今日の出来事は視覚障害を持つ方がホームに転落してしまうという大変な悲劇でした。お気の毒で仕方がありません。ホームドア設置途中の事故だったと聞くとさらにやり切れない思いが強くなります。

ただ、この出来事で私の予定が変わったことを何かの符号や因果だと考えるのも、その方に失礼だと思うのです。そして自分に降りかかる試練の全てに責任があるというのも間違いだと確信しました。

起こることは単なる偶然かあるいは不可抗力。足掻いてもどうにもならないことに足掻きもがくのは止めよう。

そう思った一日でした。

End



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