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隻手の声を聞いた時 ナイン・ストーリーズ
13歳で出会ったサリンジャーに私の精神は強く共鳴し、今も心の根幹を成しています。単なるナイーブさではなく本当の優しさを持つ人達が、何を考えどう動き、如何に生きてそして死んでいくか、彼の物語にはそれが描かれています。
あまりにも有名であまりにも愛されてきた作家の作品に今さら感想を綴るのもおこがましいのですが、彼の投げかけた命題について綴ってみようと思います。
短編集『ナイン・ストーリーズ』の扉には禅の公案が掲げられています。
「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音はいかに。」 ー野崎孝訳引用
臨済宗中興の祖、白隠慧鶴による有名な公案です。隻手の声と言われます。数多の公案の中でも最も知られたものの一つでしょう。
本を手に取りこの公案を初めて目にしてから何度もその答えを考えました。聞こえない声を聞くというのはどんなことなのか、考え、そして言葉で表現しようと格闘しましたが、中学生の私にはどうしても答えが見出せませんでした。その問いは常に自分の中にあって時折ふっと意識に上がってきました。どんな音だろう、鳴らない音をどんな言葉で表現出来るだろう。考えても考えても答えに辿り着くことはありませんでした。
それから長い時間が流れ働き始めて10年以上過ぎたある日、出張で関西にやってきた私は在来線に乗り換え出発を待っていました。昼過ぎの列車には他に僅かな乗客がちらほらと腰を下ろしているだけでとても静かです。
「それにしても働き始めてからこれまで色々あったなあ、いろんな人に助けてもらいながらここまで来たんだ。今この仕事をしてこの列車に乗ってるなんて、昔の自分には想像すら出来なかったな。」
そんなことがつらつらと頭に浮かんでいました。その時でした。
「ああ、そうだ。これだ。」
手と手が合わさって音がするのです。片手で音は鳴りません。
世界に私がただ一人だとしたら、どんなに声を出しても誰にも届きません。どんなに片手で空を切っても音がすることはありません。社会に出て助けられ支えられて生きる自分を真に自覚してやっと辿り着いた言葉でした。
とうとう私は隻手の声を聞いたのです。
10代の自分には分からなかった答えを長い年月を経て見出しました。生きることが答えを導いてくれたのだと思います。あの時、安易に答えを探さずにいて良かったと思いました。
私は間違っているかもしれません。私の辿り着いた答えは禅の教えから導き出されるそれとは違っているのかもしれません。でも、それでもかまいません。確信を持って答えます。片手で音は鳴りませんと。
9つの珠玉の短編が描き出している人の繋がりと断絶、心からの交流。それがサリンジャーが掲げた公案に対する彼自身の答えだと思います。彼も隻手の声を聞いたのだと。そして私も聞きました。
その声がこれからも自分とともにありますように。サリンジャーの作品を思い出す時、いつもそう願うのです。
End
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