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青木古書店の不思議な一日 その2

昨夜諦めた台帳整理を開店までに済ましてしまおうと、いつもより2時間ほど早く店にやって来た。シャッターを上げ鍵を開けてドアを押すと暗い店内の様子にいつもと違う何かを感じた。その何かはすぐに目に止まった。天井まで届く書棚に挟まれた狭い通路の床に人影が見えるのだ。男が倒れている。青木は一瞬固まったが気を取り直してそばに寄ると、左頬を下にしてうつ伏せに倒れているその男に声を掛けてみた。返事はない。恐る恐る肩に手を触れて軽く揺すってみたがやはり反応はない。顔を覗いてみると正気なく青ざめ明らかに死んでいる。青木にはこの状況が理解出来なかった。出来るわけがない。昨夜店を閉じて家に帰る時には何事もなかった。間違いなく鍵も閉めた。それなのにどうして店の中で見ず知らずの男が死んでいるのか。おまけに鍵は掛かっていた。さっき自分で開けたのだ。そんなことを考えながら呆然と立ち尽くしていた。

どのくらいそうしていただろうか。どうしてこんなことになったのか永遠に理解出来そうもなかったが、何が起こったかはようやく認識出来た。そして店の外に出るとスマホを取り出して警察に通報した。110番を押す前に03はいるんだろうかとか、普通なら考えもしないようなことが頭に浮かんだりして、正しい番号を押すまでに何度も間違えたりした。たった3つの数字を押すだけなのに。

警察が到着するまでの間、青木はずっと店の前にいたが、人目があるためシャッターは下ろしていた。どのくらい待っただろうか。パトカーと救急車が到着した時には10時を回っていた。

「青木さんですね。中野署の石崎です。とりあえず中を見せてもらえますか。」

「はい。何も動かしていません。」

そう言いながらシャッターを上げると石崎は薄暗い店内を覗き込んだ。

「それで死体はどこに。」

「どこって目の前にあるでしょう。えっ。」

「失礼します。」

石崎は店内に入って行き一通り中を確認して戻って来た。

「どこにもありませんが。」

「そんなはずは。確かにそこに倒れてたんです。いや、そんなはずは。」

「青木さんのいたずらとは思いませんが、誰かお知り合いの方にでも担がれたんじゃあありませんか。少なくとも店の中には控えの部屋やトイレも含めてどこにも死体は見当たりませんよ。」

「信じられない。」

「こちらとしては何の痕跡もない状況では捜査のしようもないですね。あるいは何か盗まれたものはありますか。あれば窃盗事件として捜査は出来ますが。」

「通報する前にざっと見ましたが特に無くなったものはないと思います。そもそも店を閉める時はお金は残していきませんし、高価な品物は置いてありません。」

「貴重な古本などはどうですか。」

「ここは希少本を扱うような類の店ではないんです。そういった本は店頭では販売しませんから。」

「そうですか。だとするとますます誰かに揶揄われたんじゃありませんか。裏口もあるようですし、そこから外に出たんでしょう。とにかく鍵を取り替えた方が良いですね。古いタイプの鍵のようですから、どこかで青木さんが気がつかないうちに拝借して粘土か何かで型を取れば簡単にコピー出来たはずです。」

「いや、こんなタチの悪いことをするような知り合いは思い当たりませんし、見ず知らずの誰かのいたずらにしてもこの店でやる意味が分かりません。」

「まあ、今日のところは特に事件性はないと判断します。もし何か盗まれたものがあったとか、万が一死体が戻って来たとかってことがありましたら、またご連絡ください。その時はくれぐれも死体から離れないように。」

青木は一瞬ムッとしたが堪えるしかなかった。

「分かりました。お手数をおかけしました。」

警察が帰った後、青木は店を閉じてレジ前に座って頭を整理しようとしたが、そのうちふつふつと怒りが込み上げて来た。いったい誰がこんなことを。どんな理由で。狼狽える自分を影から見ながら笑うためか。それとも何か目的があってのことか。何にせよこんなことを仕組んだ奴を絶対に許さない。犯人を突き止めて詫びを入れさせてやる。

近所の鍵屋を呼んで急いで鍵を交換してもらった後、気を取り直して昨日入荷した本を確認しながら台帳に入力していくと、気がついた。一冊足りない。

続く


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