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横田めぐみさんのこと

横田早紀江さんの報道を拝見し、過去の投稿を再掲します。

子供の頃はひと夏に二回くらい家族で海水浴に行きました。父の車に乗り込んで山を超えると海が見えてきます。海岸線に出ると、寺泊は混んでいるので石地か間瀬に向かいます。一時間を超えるドライブです。晴れた日には海水浴場の海の向こうに大佐渡小佐渡が見えました。日本海はとても澄んでいて波打ち際に小魚の群れが泳いでいたこともあります。

ある年の帰り道だったと思います。夕方、海岸線を少し離れた道にはほとんどすれ違う車もなく、人影も見かけませんでした。窓を通り過ぎていく景色を見るともなしに眺めていると、道なりにずっと女の子の写真が貼ってあります。どことなく悲しげな顔をした女の子でした。あの子は誰かと母に聞くと、いなくなっちゃった女の子だと、かわいそうにねと、母はそう答えたと記憶しています。その時その子の名前も聞いた気がするのですが、記憶の中で薄れていきました。

その写真は、次の年もその次の年も、海水浴に行くたびに、その道を通るたびに見かけました。そのうちに、いなくなったかわいそうな女の子の写真は子供の頃の楽しかった海水浴の思い出の中にひっそりと埋もれていきました。

大学に入る時に上京しそのまま就職して数年が過ぎた頃、ある女の子のことが報道されました。新潟市に住んでいた中学生の時、北朝鮮に拉致されたというのです。その報道を見て愕然としました。記憶が蘇って来たのです。横田めぐみさんでした。海水浴に行くたびに見かけたあの写真の女の子でした。

驚きました。女の子の写真は年を追うごとに海風に晒され古ぼけていきました。そしていつしか私は大人になり新潟を離れ、その写真を見かけることも思い出すこともなくなりました。その子が二十年経って改めて報道され、なんと北朝鮮に拉致されているというのです。もう一つ驚いたのは、私が写真を見かけたあの海岸線はめぐみさんが拉致された場所からは数十キロも離れていたということです。あんなに遠くまでめぐみさんを探して写真を貼って回ったんだ、そう思うと胸が張り裂けるような気持ちになりました。気がつけば私は写真の女の子の歳を追い越し、社会に出ていました。あの子だったんだ、めぐみちゃんだったんだ、拉致されてたなんて。めぐみさんとご家族に流れた膨大な時間を思うと涙が止まりませんでした。

あれからまた長い年月が過ぎ、横田滋さんが亡くなられたという報道を拝見しました。どんなに長い時間だったことでしょう。拉致被害に遭われた方々、帰国を信じて待っておられるご家族の皆さん、待ち続けて力尽きた方々、どんな思いで生きてこられたか想像もつきません。そして、子供の頃めぐみさんを知り、大人になって改めて知り、人生も半ばを過ぎた今も知ったまま何もしてこなかった自分を省みると、無力さを痛感します。

でも、だからせめて、私は覚えていようと思います。忘れないでいようと思います。あの女の子の写真を見かけたことを、拉致された方々の苦しみを、ご家族の悲しみを、覚えていようと思うのです。

皆さんが帰って来るのを待っています。




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