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7/26 フヅクエに行った。帰りは雨で、リュックがもっと重くなってた。

マームとジプシーの『apart』とTシャツが届いた。生地が薄いのが嬉しいけど洗濯でくたびれないだろうか。あと思ったより丈が長い。細かい長さが表示されてたけど自分の体の長さで知ってるのなんて全長以外ない。
『apart』は、出かけるまでの1時間15分でギリギリ見れた。パツパツの気持ちで見るべきじゃなかったかもしれない。
現在と未来、それを覗く鏡、窓、そして出て行くドア。自分以外の人がすべていなくなったとき、電話や手紙、会話の記憶が形作った現在と、それを過去のものとして思い出す現在のズレはどんどん広がっていく。なんか英語の過去時制を学んだときみたいだ。大過去、みたいな。

奥多摩に行くだとか中央線の本屋を攻めるだとかのぼんやりとした約束がぼんやりと無くなっていたのはわかっていたけどせっかくの四連休の最後だし、フヅクエに行くことにした。店の存在を知って3年くらい経つが行ったことがなくて。
最近店主・阿久津さんの読書日記を購読し始めたのだけど、登録と同時に送られてきた過去一ヶ月分の日記に記された印象よりは客足が増えたらしい。自分が行きたい時間帯の下北沢店の予約は二階が埋まっていた。

久しぶりの下北沢に着いたとき、雨が止みかけて雲の隙間から陽が覗いていて奇跡的な瞬間に思えた。
ヒグチアイ『全員優勝』を聴いていた。「雨の交差点」踏切もなくなった下北沢。
時間があったから月日に行こうとして、てっきり路面店だと思っていたら、住宅地を抜けたところに「ボーナストラック」という施設ができていて、その中に出店していた。
なんというか、空気感は、おしゃれスポットだった。下北っぽい服装の人たちがパラソルの下、プラスチック製の椅子に座って屋台のビールを飲んでいた。
でも、後からわかるけどここには本に関する店が三つもあって、それを簡単に文化の発信地だなんだは言うは易しで、もう日本は土着の小さい輪以外からは何も生まれない気もしている自分からすると、「下北沢」ではなく下北沢って感じがして楽しそうに見えた。小さなお店がそれぞれ本気で毎日やってる感じがした。

月日、意外と広いなあ、というかしっかりした本屋だなと思ったらそこはB&Bで、ライブハウスの下のあそこから移転しらしい。植本一子『個人的な三月』チョン・セラン『屋上で会いましょう』島田潤一郎『本屋さんしか行きたいとこがない』の三冊買う。
たっぷり読んでやろうと思う気持ちに歯止めがかからない。たくさん持ってきてるのに。
月日は予想通りこじんまりしていて、柿内正午『プルーストを読む生活2』を買う。

阿久津さんの日記を読む限りでは、フヅクエはB&Bの近くにあり、なんとなく狭い入り口の細長い二階建てだということがわかっていたので、おそらくあそこらへん、ケージがあった場所の向かいの通りをあの狭いコーヒーショップに向かった並びあたりだな、とアタリをつけて駅に戻る。
道中にホームページで確認したら「ボーナストラック」内となあり、ああそうだ、B&Bが移転してるのだから当然じゃないかと気付いて引き返す。
そんなことを後で喫煙所で話した阿久津さんが、有意義でしたねと言ってくれた。ちょっとした失敗を、それは有意義でしたねと言ってもらう日曜日ほど気持ちいいもの、ないかもしれない。
ただ、気付いたときは虚しく、駅前の喫煙所に寄った。服装やら髪の色やら背負ってるケースやらで、ああ、この側面の下北沢は本当に久しぶりだと思わずにはいられなかった。
住宅地を抜けたからか、ここに住んだらどんな感じなのか想像する。440やらなんやら、初めて下北沢に来たときに感じた緊張感や興奮とは違うようなものを期待できるようになったかもしれない。中学生の頃に図書館で読んだ吉本ばなな『下北沢にて』は、B&Bの入り口付近に今でも置いてあった。

予約した時間ぴったりにフヅクエに戻れた。

店の外でスタッフ2人が話していて、ちょっとした伝達事項を済ませている姿、本を読む店の環境を維持するための平凡な日常行為を早々に目の当たりにして、入る前から気持ちがよかった。

滞在中、ずっとキッチンで作業している音が聞こえた。
会計時、お客さんが財布からお金を出すときに店員がそれを見つめるプレッシャーすら軽減しようとの心遣いすら店員で共有する店だから、これもきっと、意図的にキッチンでの仕事が途切れないようにしているのではないか、とか考えた。
自由気ままに飲食を楽しめる、本来の休みならもっと活気があっておかしくないスペースに出店しているからか、飲食店だと勘違いして訪ねてくるお客さんが何組かいて、その度に外に出て説明している様子が伺えた。
店内で過ごすお客さんとのコミュニケーションが少ないぶん(常連の方がいたとしてもその空気を他のお客さんに感じさせないよう、ベタベタはしないのかもしれないし)、店員同士の引き継ぎ以外の主な会話がこの説明に尽きるとしたら、それは大変なことだと思う。本気でいることと、精神的な鉄人でいることはセットだと思われがちな気がするけどそんなことないはず。

4時間たっぷり読めた。
今日買った『屋上で会いましょう』を半分
先月買ったアタシ社『たたみかた第2号』をついに読み切り、
『文藝2020秋号』宇佐美りん『推し、燃ゆ』をサッと読んだらちょうど21時だった。

ポテトサラダのトーストが、さつまいもベースで甘くて美味しくて、ジンジャーシロップもちゃんと辛くて好きな味だった。
なのに料金は思ったより安くて、想像できた良さをピタリと実現させてくれたことに感謝した。

サービスはお客さんに提供するものだけど、対価があってのものだと思う。宅配やメルカリやチケットの対応に加えて最近からビニール袋の一手間が加わったことからも、コンビニ店員の処理能力はすごい。それを迅速ににこやかに行うサービス性などとても受け取れないと日々思う。払ってもないし。
フヅクエは、サービス、というか気の配り方や心遣いが核にあるのだと思う。そのために、店員の行動ひとつひとつの質と再現性を高める努力や工夫を毎日更新していると思う。
メニュー、椅子、照明、料金システム、すべてに意味がある安心感は、訪れる人も巻き込んで、心地いい空気となって店内にずっと漂っていた。
本気の店だなあと本を閉じるたびに思った。

店を出たら雨が降っていて、この店の防音はどうなっているのだろうと振り返ったときにはもう、自分はこの店を出た人なのだと思った。なんというか、いつ来ても、始めましての空気で最大限のサービス(本の読める環境の提供)をサッパリと行うのだろう。さっきまでそこに溶け込んでいた自分が、一瞬で店にとってはじめましての存在に戻っていたのが不思議だった。

ヒグチアイの「ラジオ体操」を聴きながら歩いた。
雷の光だけが繰り返す不穏な下北沢から遠ざかる電車に乗った。

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