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サボってない、仕事がないだけ。

 同じ理由で、同じ手順を踏んで結果的に休暇を手に入れたとしても、「休む」と「サボる」には相容れない違いがある。なぜか、“休む”は正当な気がして、サボるは悪いことになる。これが私の感覚だけなのか、日本の感覚なのか、そのへんが気になった。
 だって、好き嫌いで言えば「サボる」ほうが好きだからだ。そのほうが時間を自分のためにわがままに使っている気がしていい。多少の罪悪感がいいのだろう。罪悪感がチラついて明日のことを目隠ししてくれる。

 語源を検索してみると、フランス語のサボタージュからと書いてあった。「働く条件がわるいから仕事しない」と労働者が抗議したことに由来し、木靴を機械に投げ入れて「壊れたのて仕事しない」と訴えたらしい。その木靴をフランス語で“サボ”というらしい。私にそこまでの行動力は無いが、元々が正当な意味がある言葉が今の日本語にまで変わってしまうのが面白い。

 そういえば漫画のワンピースにも「サボ」という名前のキャラクターがいるけど、なにか関係あるのだろうか。労働者の味方みたいな意味が込められているのかもしれない。
 名前のつけ方って、おもしろい。


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