見出し画像

オバケの実写化のほうが、AIより怖くない?

なんだか今年は、ホラー作品の活気があるようだ。
書店でも、映画館でもそんなふうに感じた。
ホラーに活気があるなんて変な言い回しだけれど、オススメだ、注目作品だとコーナーが作られているものに、その傾向が出ている。

でもわたしは、ホラーはそんなに得意な方でも無い。なんというか、ヘビーユーザーではないというか、単純に怖いのだ。お化けなんて信じてないからこそ、自分が感じる恐怖という確実に存在する感情がどうしょうもなく恐ろしい。だから、この怖さのことをお化けというのだとしたら、100%信じているいいお客さんなのだ。

ホラー作品に出てくる敵役というか、あいつらの総称はなんていうのだろう。お化けや殺人鬼、モンスター、怪物たちは、ホラー愛好家たちからはなんと呼ばれているのかはわからないけど、作品の花形なのだから呼び名があるはずだ。でも、主役と言ったら変な感じだ。ポスターのメインにもなり、ときには作品のタイトルにまでなる貢献ぶりなのにも関わらず「主役を演じた〜さんです」とは紹介されないだろうから、哀愁がある。そこら辺も愛好家の人から愛されるポイントなのかもしれない。

じゃあまあ、今回は「キラー」と呼ばせてもらう。人気オンラインゲームでは、そんな括りにされていたので、それにならう。
ヒーローものが好きなわたしにとっては、キラーはどこかヒーロー感がある。ダークヒーローではないけど、登場すると「よっ、待ってましたよ」という感覚はある。それが、安心感の代わりに「怖い」という気持ちを一緒に連れて来るだけで、わたしも待ってはいるのだ。
そしてコミカルな要素があると、さらに魅力的だ。ここがもしかしたら、わたしとホラー愛好家たちとの分かれ道なのかもしれない。コミカルな要素は、なにもキラー自身だけで表現されるものではなく、その場面の描写やカメラ割だったり襲われる側のリアクションだったりもする。音で知らせてくることもあるかもしれない。だから受け取り方によっては、滑稽な演出として楽しむこともできる。

しかし、わたしにとっては素直に怖いのだ。
その緩急をつけた演出が、たまらなく恐怖を感じさせる。だって、「緩」が来たら次は「急」がくるのだから。その演出がコミカルであればあるほど、とても現実味があるようで生々しい。実際に温度を変えられたように、いや、実際にそれは起きているから。
ぎゅっと力が入り汗をかく。
すると当然だが、汗は蒸発するだろう。
そのとき、肌の表面の温度は奪われる。
すなわち、寒い。

そう、手を触れなくても、目と耳からの情報だけでわたしの身体のセンサーを操作してきている。これを怖がらなくて、なにを恐れる。
と、まあこんな感じで、わたしは良いお客さんな訳である。

そんなことを言いながら、ホラーだと知りながら見たくなることも少なからずある。
「ジョーズ」を見れば海には行きたくないし、友人がテレビ放送された「リング」を録画したから一緒に観ようと言ってきてときは、ほんとに正気を疑った。呪いが伝染するビデオの映画を、ビデオに録画してみんなで観るとは何事だと。

でも、見た。
指と指の間から、薄目で見た。
あの行為は何なのかと、いま思い返しても分からない。怖いのだ、確実に。
でも、薄目で見たくて仕方なかった。どうしても見るのを止められなかった。それでいて、すぐに目を背ける。そんなことを繰り返して内容などほとんど頭に入っていないのに、怖い映像だけを何度も目に焼き付けていた。あれは数日の間、瞼の裏に張り付いていて眠るのが怖かった。

多分、不可思議な人間の行動に、理由なんて説明できないのだ。だから今日も、化け物を信じ込ませることに取り憑かれたクリエイターたちが新しい化け物を想像し、世に解き放とうとしている。必死になって、オバケを実写化しようとしているのだからたまらない世の中である。

最近わたしは、図書館から借りてきた本を読んでいる。「『トリノトリビア』 鳥類学者がこっそり教える野鳥のひみつ」という本だ。とても面白く、バードウオッチングに行ってみたいとすら思う。
ケンタッキーフライドチキンのドライブスルーが、やっと進み自分の番がきた。「鳥」を調理するのに8分くらい待ってほしいそうだ。
指定された停車位置で調理を待つ間、読書の続きをする。
切り取り方次第では、コミカルな状況だ。



頂いたサポートは、知識の広げるために使わせてもらいます。是非、サポートよろしくお願いします。