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夜の散歩道

 19時を過ぎた住宅街の駐車場はもう静かで、団らんを終えた家々から漏れる明りが控えめに夜道を模っていた。今日は、何も無い日だった。休暇ではなく、絞っても何も出ないカサッカサの一日。それが嫌でこうして夜、すこし歩きに出た。
 間隔の広い街灯の下を歩くのはそれほど気持ちのいい物でもないが、今日はまだ星が見えるのでいくらかマシだった。夜風も気分のいい具合に春の温度になってきている気がする。といっても、上着がないとまだ寒い。通り過ぎる塀の向こうには、椿の花が暗がりに咲いている。ふっくらと広がる花弁が、風に揺れる。その大きな朱色の花がいつ崩れてしまってもおかしくないように見えるため、もしそうなってしまったらその様子を見ながら歩くわたしにも何かしらの責任の一端があるように思え、人様の庭の横を怯えるように静かに歩いた。
 星空の中に浮かぶ月は丸かった。でも、満月は月曜の夜らしいから、これはまだ丸ではないんだなと見上げるが、視力の悪いわたしに見えるのは、まぎれもない満月だった。
 満月の夜は、眠りが浅くなるらしい。
 月は、人間の睡眠時間をコントロールしてまで己を見上げてほしいのだろうか。余程のナルシストなのだろう。そして月のお望み通りに人々は月に魅了されている。月を見ながらお酒を飲み、月に団子を供え、人の一生を十二の月と名付けて過ごす。地球の重量力よりも、月の引力に負け始めた人たちが年々増えているようだし。
 もう営業時間の終わったバス停のベンチに座り、持ってきたメモ帳を開く。なんでもいいから、頭に浮かんだことを走り書きで書き出していく。どうせ、後から読むことはないから、なるべく頭のスピードをそのままに手を動かした。
 何も無い一日が終わる。
 その一日から産まれる削りかすみたいな言葉を、すべて月の引力が持っていてくれるから気のすむまで書き続ける。少し夜更かしして。

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