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ポエム・エッセイ

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ポエムのまとめです。わたしの頭の中は、こんな感じです。
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#考え方

空模様

空が包んでいるのか、空と一緒に浮かんでいるのか分からないけど、勝手に僕らはその中にいる。 そして、好きなうたを歌って、美味しいものを食べて、誰かを好きになった。 その日の空はとびきり良くて、自分とセットで一日が造られる気さえするんだ。 でも空はいつでも、誰かにとってはとびきり良くて、もっとも悪くて。 勝手に僕らはその中にいる。 雲が動いて、僕らが動いて。 誰かの空を、今は見てる。

風邪、早く治そ。

 「楽しい」ことと「楽」なことが、気を抜くとごちゃごちゃになって、すぐに「楽」なことに飲み込まれてしまう。やることは計画するんだけど、本当に計画するべきなのは楽しい予定な訳で、それがなんだか、いつの間にか余った時間でできることにすり替わる。それでもっと質の悪いのが、細切れになった「楽しい」だったものが、ぼんやりとした休憩のまがい物みたいな時間になっていることにも鈍感になってしまう。多分、この休憩のまがい物こそが「楽」なんだ。  どこから始まるのかは、全くわからない。風邪みたい

良くない日を書く。

派手な時期が終わると、落ち着いた匠のような時間を創れるものとばかり思っていたけど、どうやら思い違いだったらしい。 質素で、味気ない歯応えだけに喜びの一端を見出すような人。そうだな、多分、藍色か薄抹茶色の甚兵衛を羽織って土間で胡座をかくような人を想像していたから、そうならなかった自分への落胆と、そんなふうに見た目からイメージしている時点で、そちら側の、いわゆる職人肌の人間ではなかったのだろうから仕方のないことである。 無気力と言われても仕方がない。 そう間違えられてしまうほど

整理する時間が嫌いなのだ。

世界のすべてを見渡せる所に立っているのが当たり前だった頃は、くり返す毎日に飽きたりしなかった。 お腹が痛くなるのが恥ずかしくてたまらなかった。あの頃はキミが泣いたりボクが泣いたりするのはしようがないことで、ゴメンを言うのにも一日くらいかかってしまった。 でも足が大きくなって新しい靴を履いた頃からは、世界には行けない所もあると分かった。そして、繰り返しの毎日に退屈して泣いている暇なんてないらしかった。一分も考えないでゴメンが言えるようになり、お腹が痛くなればトイレにいく。笑

窮屈な退屈。

完成と未完成のどちらが良いのかは、意見が分かれるところだ。 眠気覚ましにいれたコーヒーをこぼす朝と、眠りたくて作ったホットミルクでお腹を壊した夜のどちらが良いか選ぶくらい決めるのが難しい。 理想をイメージしてコツコツと構築するのが健全。そして、完成図も描かないで、いきなり好きな色のクレヨンを握るのはいけない事。でも完成図を描いているうちに、お絵描きに飽きると叱られるような気がする。 道端に咲く花を見るのが好きな人は、他所見をしないで真剣に走る人と一緒のマラソン大会に参加する

死生観

ここ数年で、死生観が変わった気がする。 いや変わったののではなくて、フワッとしていたのが固まったというほうが近いのかもしれない。 わたしはのんびり者で人嫌いなところがある。 これは自分なりに多少折り合いをつけて、ストレスを感じながらもそれなりに楽しもうとしている。 コロナ渦で数年経つうちに、やっぱり自分の周りの状況も変化した。それだけではなく、当然のように年齢も重ねる訳だから、またいつか会えるのが当たり前だと思っていた人たちが、二度と会えなくなる、そんなことも経験した。

年末というイベントを世間がやってるだけだから。

大好きだったのは、バタークリームを使ったケーキ。パリパリのチョコレートでスポンジをコーティングしてあるやつ。でもクリームやスポンジまで茶色いチョコ味は嫌。それから、スポンジの間にはオレンジ味のジャムが挟まっているのが好きだった。 でも今はバタークリームだと、一切れ分で脂っこい感じがしてお腹いっぱいになってしまう。 ケーキ屋さんで聞いてみたら、最近は毎年趣向を凝らしたオススメケーキを販売するのが主流だから、ノーマルスポンジにチョコレートとジャムなんてシンプルで安い物は作らない

世界は膨張し続ける

刃は形を変えたいときに、いつも使われる。 植木を剪定し、髪型を整え、生地から品物を生み出す。そして、相手を退かせ、心を傷付ける。 風通りをよくしたり丸みを出したりと、それが互いの納得の行くところに落ち着き喜びとして昇華されれば、まわりも大方良しとする。 問題は、そうならないときにある。 使い方、まずはこれを気を付けるのは当然だ。これは昔からそうなのだから、「刃」はそれ程に危ない物だということを気にしながら生活する必要がある。 それと同時に、向き合い方を忘れてしまっているように