第6回ふくおか学びの会(20231021)

 こんにちは。ラフテル所属の新田です。
 10月21日に開催されました、第6回ふくおか学びの会について共有をしたいと思います。1か月弱期間が空いてしまいました。
 今回は、八千代市立睦中学校3年生の国語の授業動画を見ました。内容としては奥の細道についてです。また、その授業が公開されたときの佐藤先生の講演も聞くことができました。

 内容としては、奥の細道「平泉」の一節で、
「時の移るまで 涙を落としはべりぬ(長い間、涙を落としておりました)」
の一文において、「なぜ、長い間涙を落としていたのか」を考えることから始まりました。また、グループは男女混合の4人で市松模様の配置を基本としていて、始めの5分弱を除くと終始4人グループのまま活動は進みました。
 活動が始まり少しの沈黙の後、「うたおもいすぎじゃん?」「うたを知ってて?」
「中国でうたったことを知ってて、それを思い出して?」「中国と日本を重ねてかな」等「なんでだろう」と子どもの感じることが自然と出てくる空気がありました。(正直平泉が何かすらよくわかっていない私は手元で平泉の一節を検索しながら理解しようと必死です。)時間が進むと、ある子どもが「自然の神秘とか景色に感動したんじゃないか」と言います。また別の子どもは「戦に敗れた人たちのことを想ってかな、、。」と。それらの発言に対しよく聴いている子どもたちからは「それどこからわかるの?」「そんな心わかるの?」と疑問がポンポン出てきました。その中でそれぞれが持つ資料を見ながら考えを共有する時間が展開されました。それらはグループでの活動があったうえで全体の場で行われていたものです。この後、日本地図を見ながらどこで戦が起こってどこまで侵略して、の話題が展開されますが、知識のない私は「?」の時間でした。メモがありません。すみません。
 議論が続く中、先生が「古典を理解しようとすると歴史って大事だね。そう思って資料を2つ用意しました。」と松尾芭蕉(たぶん)の漫画と松尾芭蕉が訪れたとされる場所の特集記事を提示しました。それらは時代背景を確認するものとしての位置づけでした。配布されてからの子どもたちの様子は、一人一人が資料を見ながらじっくり考え、思考し、その考えを深めているように見えました。一人ひとつ資料が用意されていたことが一人一人の学びの保障に繋がっていたように思います。
 資料が配布されたことで子どもの学びの状態に変化が生まれたうえで、冒頭と同じようにグループでの思考、そして全体での議論が行われました。ここで冒頭の議論と異なることは、考えに対する根拠が明確になったことだと捉えました。配布された資料、教科書をよく見てそこから読み取れることを根拠にすることで、根拠が曖昧な考えは出なくなったように感じます。また、ある発言に対して「もやもやが晴れた」と自分の疑問が解決された喜びを全体で共有している場面があり、学びへの気持ちが素直に表現できるこのクラスの雰囲気も感じた場面でした。
 ここで展開が大きく変わります。登場人物である源義経を知っているか、と先生が問います。読みを深くするための投げかけだったのだろうと思います。平泉の一節にある
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」
を取り上げ、「ども」であることから武士は複数であり、「武士たちの夢を重ねていたんだろうね」と、先生が芭蕉の弟子である曾良の日記と二堂(お寺)の写真を提示しながらお話しされました。ここでおそらくジャンプ課題として提示されたのが、『曾良旅日記』における
「経堂ハ別当留守ニテ不開」
と『奥の細道』における
「兼ねて耳驚したる二堂開帳す」
はどうして書かれていることが異なるのか、でした。事実は『曾良旅日記』の内容であり、『奥の細道』の内容は事実ではないことを提示したうえで、記載内容が異なることを考える時間が展開されました。その時の子どもの様子としては、課題に対して諦めることはなく、ずっと課題と向き合い、スッキリしないけれども課題と向き合うことで読みを深めることができていたように思います。

 以上が授業の流れとその時に思ったことです。授業全体を通して気になったことは、子どもの話し方から疑問を自然と共有できる空気感があり、学びから離れてもまた戻ってくる様子も見られ、学びに向かう姿勢の強さがあったことです。「わからない」を言うことに抵抗はないだろうと感じました。 また、授業者の先生が「息づかいを合わせて」とおっしゃっていたことも気になりました。子どもがそれぞれのスピードで読むのではなく、クラス全体で揃えて読むことを大事にされていて、その際に「みんなで息づかいを合わせるよ」と言っていました。文学は一人一人の読みを大事にすることをイメージが強かった私としては、興味深かったです。しかし、授業後の授業者の思いを聞くと、「子どもの良さが絡み合って何かを生み出していくことが『学び合う』ことではないか」、また、作品の良さに触れることの重要性について言及があり、「息づかい」にこだわる理由があるのか、と気になりました。
 さらに、佐藤先生のお話の中で印象に残っていることは
「入り口は別でもそれぞれで読みが深まること」
「子どもは支え合いながら学んでおり、学びに加わらなかった子が何をきっかけとして学びに加わるようになったのかを見ること」
の2つです。今回の授業はその重要性がよく分かる授業だったように思います。

 中学生の授業をあまり見る機会のなかった私としてはクラスの雰囲気、ジャンプ課題のレベルなど新鮮に感じる部分もありつつ、子どもの学びの様子から考えていく部分は小学生だろうと中学生だろうと変わらないことを認識できた学びの会でした。今後の個人的課題としては、子どもが学びから離れている瞬間、学びに対してしんどい子を見られるようにすることです。授業後の講演の中で挙げられたその授業でしんどかった子どもについて、全く見られていなかったことからそのように考えました。実践を見ていくことでみられる目を養っていきたいと考えます。
 

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