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愛のある言葉を、この宇宙に

あるきっかけで久々に仏教以外の本を読んだのですが、その本の中にこんな面白い記述がありました。

たとえ洞窟の中で独りで暮らしている人がいても、その人の思考は望もうが望まざるが、他の人々に影響するのです。

デヴィッド・R・ホーキンズ著『パワーか、フォースか』

この記述は、あながち間違っていないのではないかと思います。

この宇宙では、無数の現象が相互に依存しながら絶えず生滅し、新たな無数の現象を生み出しています。

人間が6つの感覚器官(眼耳鼻舌身意)で認識できるのは、この膨大な現象のネットワークのうちの、ほんの一部にすぎません。
人間の耳では、コウモリが聞いているような超音波を聞くことはできません。
人間の感覚器官では、天界や地獄界のような、
人間界以外に住む生命の実態を捉えることはできません。

この宇宙が、人間には認識できない現象で溢れ返っていることを考えると、
たった独りで暮らしている人の思考が、
他の生命に影響を及ぼしていると言われても、
何ら不思議ではない気がするのです。

そしてこれが正しいのであれば、
仏教で奨励される慈悲の瞑想は、
とても楽しく、幸せで、やりがいのある瞑想法なのではないかと思いました。

なぜなら、唱えた慈悲のフレーズが、
直接他の生命に善い影響をもたらす
からです。

もしかしたら、けさ唱えた
「私の親しい生命が幸せでありますように」というフレーズが、自分の大切な人に幸せをもたらしているかもしれません。
けさ唱えた「生きとし生けるものが幸せでありますように」というフレーズが、
宇宙のどこかに住む生命に幸せをもたらしているかもしれません。

もちろん生命の意識の底に眠っているのは、
慈悲だけではありません。
どんな生命の意識の底にも、憎しみや恨みといった、生命同士の調和を壊してしまう種が眠っています。

ある生命が生み出した慈悲も、
別の生命が生み出した憎しみや恨みに打ち消されてしまうのかもしれません。

きっと地球上で争いが絶えないのは、
生命が生み出した慈悲が、憎しみや恨みに負けてしまっているからなのでしょう。

だからこそ僕は、愛のある言葉を唱え続け、
宇宙全体に慈悲を増やしていきたいです。
僕の生み出した慈悲が、少しでも生命の間に調和をもたらすことを願いながら。
すべての生命が幸せに生きれることを願いながら。

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