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ほどよく傲慢なあなたへ|小説|エイプリルフール


新着メッセージ 1件
from:小錦「死ぬほど困ってます😭😭😭」



またかよ。
クソ上司のパワハラに耐えながら、なんとか終業時間を迎えて駆け込んだシャトルバスの中、ため息がこぼれる。
冷え切ったスマートフォンの新着メッセージを目にした瞬間、疲労がどっと押し寄せたように感じた。
しかめっ面を隠そうと、思わずマフラーに顔をうずめてなんとか取り繕う。だけど抑えきれず、隠しきれない目元に苦虫を噛み潰したようなシワが寄った。

まだ救いだったのは、このメッセージが私個人ではなく、グループチャットに投げられていたことだ。私個人宛であったら、さっき私の口に飛び込んできたのは苦虫どころじゃ済まなかっただろう。きっと野生のシュールストレミングとか、そういうとんでもない奴を噛み潰すハメになっていた。

小錦さんは、このメッセージを私たちに告げてどうなると思っているんだろうか。
私達が困り果てるということ以外に、どんな青写真を想像しているんだろうか。
この子は、そんなことも考えないんだろうか。
いや、考えないんだろうな。

同じメンバーで取り組んできたワークショップのグループチャット。
以前にも小錦さんは問題を起こしていた。
その時のことを思い出しては、苦々しい感情が脳裏をよぎる。

彼女は、精神的な症状を理由に活動を大幅に遅延したのだ。
そこから病んだし傷ついていた彼女を慰めるのに、メンバー共々めちゃくちゃ苦労した。
はじめこそ、純粋な心配からの助力だったけど、問題の根は思ったより深くて、結構な時間も、メンタルも削り取られてしまった気がする。

だれもが、爆弾解除班みたいに神経をすり減らしながら対応した。ひとりひとり手に負えないと放任する人も次第に増えたけど、私は最終的に彼女の信頼を勝ち得た。彼女もだいぶ調子を取り戻してくれたから、本当によかったと思ってる。それ以来、私のことを「頼れる友人」だと思えてもらったようで何よりだった。

あんまり柄じゃないけど、小錦さんには色々とアドバイスもしてあげた。
「キライな人との付き合い方を覚えるといいよ」とか。
「余計なことはなるべく言わない方がいいよ」とか。
彼女のためになってくれると本心から願ってはいたけど、押し付けがましくなってしまうので、ほどほどで止めておいた。

こんな忠告でも、聞き入れてもらえたらラッキー程度かな。それで、彼女のメンタルが落ち着いてくれるなら私としても嬉しい。そこに嘘はない。

こんなことは、慣れている。
善良な心を持って、年代別やケース別の対処法を用いて接すれば、容易く人の心は解きほぐせる。粘り強くあたれば、納得はできなくても、理解はできる。だけど、今回は、本当にめんどうくさい。
これに手を出した時、負担も損失もあまりに大きい。

よって今回は彼女のメッセージを無視して、他の人とのやり取りを再開することにした。その中には、私自身の恋人とのやり取りも含まれている。

正直、問題だらけですぐにでも別れたい彼氏ではあるけど、特別な関係性であるからには無下にできない。ぽちぽちと「仕事終わった~」と返信を送る。まだ寝ているのか、案の定返信はすぐにこなかった。

でも、ほがらかで温かいやり取りができる友達が他にもいる。それぞれ個別の画面を開きながら、順繰りにメッセージを送った。「仕事疲れた!直ぐ帰るー!」「今週末の女子会、めっちゃ飲むぞ。限界まで飲むぞ!」「おつかれー!そっちの仕事はどう~?はやく切り上げれてたらいいなー!」

みんな、かけがえのない存在だ。幸せいっぱいのやり取りを交わしていく中で、口の中に籠っていた苦虫は、いつのまにか大好きな苺味に変わった。

私は、嘘も真実も一緒くたにして、自分に閉じ込める。
必要としている人にだけ必要な情報を与えて、不要な情報を不要としている人に流さない。こうやって、上手に人生をコントロールしていくんだ。この前の誕生日も、そんな積み重ねがあってか、たくさんの人から祝ってもらえたなぁ。
いい人でいるところに人は集まる。嬉しい。幸せでいっぱいだ。言いたい事ぜんぶ言っちゃってた高校生くらいの私に、今の姿を見せてやりたい。
ほら、たゆまぬ努力さえすれば、人は自分の味方になってくれるんだよ?ゲームと一緒。だから、自分の人生も思いのまま。努力をしない人間には到底見られない景色だ。

もちろん、内心で見下してしまうような醜い感情を人に見せる真似はしない。わたしの中に巻き起こっている黒い感情、これ自体はまぎれもなく真実ではあるけれど、幸福のためにはまったく必要のないもの。
すべてを詳らかにすることは、愚か者のすることだ。

ぷしゅーという大げさな排気音とともに、バスが近場の駅に到着する。
降車口から凍えるような北風が吹き付け、思わず目を細める。
固いアスファルトのロータリーに降り立ち、日が暮れた街中を歩いて帰路につく。
相談があると持ちかけられていた友人との約束を思い出し、イヤーポッドを片耳に突き刺して、ボイスチャットアプリから呼び出しベルを鳴らす。間もなくして、「お疲れ様ー」の第一声から和やかな美声が帰ってきた。

この友人も、私にとって大切な男の子だ。
純粋で、純朴で、それでいて優しい心の持ち主。困っている時は助けにもなってくれるし、私も喜んで助けになる。

なんだかんだ、私が人に見せない黒い感情もこの子になら見せてもいいかな、なんて思わせてくれる。会話が弾むし、同じ分だけ私の心も弾む。帰路を深めるたびに街頭も少なくなっていくけど、反面、私の視界には仄かな淡いオレンジの光がポツポツと照らされていく。耳から入ってくる声に暖色系の色がついたようで、心に染み渡る。
脈絡なく「ありがとう」と本心を届けてしまう。大抵これをすると相手は戸惑ってしまうから気をつけていたけど、思わず、言ってしまった。
「急になんだよ」と、予想通りの反応。でも、この気持ちは本物だし、腐らせておく義理もない。
今日、話せるのが最後かもしれない。
そんな願いや祈りを込めた、何気ない一言。私にとって大事な信念。手の感触は届けられないけれど、せめて目に、せめて耳に、私の想いは残しておきたい。

そうして華やかな暗闇を歩き続け、「入鹿」表札の黒光りが輝かしい我が家に到着した。「また後で」と声をかけて通話を切る。
キーを回してドアを開け、リビングにいるであろうお母さんへ帰宅を知らせる。
いそいそとブーツを脱ぎ、部屋のフローリングに降り立ったタイミングで、リビングの扉を開けて出迎えてくれたお母さんの姿。
「おかえりなさい。外寒かったでしょ?」と微笑みかけるお母さんに対して、私もほほえみ返しながら「すっごい寒いよ~」と返事。
そこから、なんてことのない会話の応酬をしながら、私は階段を上がって自室に向かい、お母さんはキッチンへと引き返す。

自室に入ってまず、苦虫も苺も吸い込んだであろうマフラーをお気に入りのラックにかけて、アウターをハンガーに吊るす。
一息ついたら、スリープ状態だったパソコンを立ち上げて、お気に入りのゲームのアプリケーションを起動。その間、バッグや小物を所定の位置に配置していって、ちょうど身の回りが全部片付いたくらいで、ゲームの世界に身を投じる。デスクトップ上でも、グループチャットを立ち上げて、友人たちの声がヘッドセットから飛び込んでくる。「「お疲れ様!」」

ここが今の私の居場所の一つ。
幸せに囲まれて生きる世界。

そういえば、すっかり思考の端に追いやってしまったけれど、小錦さんへの誰かリアクションはしたんだろうか?

既読をつけないよう慎重に覗くと、案の定だれも返信していないし、リアクションすらつけていない事に気付いた。
そりゃそうだ。みんな賢い。これに手を出したところでどうにもならないことは、多分全員がわかっている。

別のメンバーから私個人宛に「これ構ったほうがいい?」みたいな進退をうかがうメッセージが届いていたが「うーん、別にいいんじゃない?」と放っておくよう、示し合わせた。
さっきバスの中で逡巡していたけれど、これに触れるメリットがない。すぐに別のタブに移って、彼女のメッセージを視界から消した。やることは山積み。どうしようもないことに構っていては時間の浪費だ。ちょっとは自分の力でなんとかしなさい。甘えるな。

「じゃあ今日は~」

私は、私の幸せにしている時間を目一杯楽しむんだ。今日も私は幸せな世界に生きる。

~ ~ ~

それから5日後、ワークショップの日がやってきた。

2週に1回、自分の好きなジャンルを執筆して、同人誌のようなカタチに仕上げる。数人で作るリトルプレスみたいなものだ。
ゲーム好き達の、ささいなライティング同好会だと思ってもらえればいい。
持ちこんだ投稿を互いに読み合ったり修正したりして、合同誌に盛り込む。紆余曲折はあったけれど4ヶ月も同じメンバーで進めていると、お互いの気心が知れてくる。みんなとの関係性はすこぶる良好だ。だからリラックスして取り組めるようになっている。

今回の作業場所は、自宅近くで借り受けたコワーキングスペース。
道案内も兼ねて全員で向かうため、寒空の下、最寄り駅近くのベンチで待ち合わせしていた。徐々に人が集まり「お疲れ様~」の軽快な挨拶ともに、こうしてまた巡り会えたことにこっそり感謝を送る。ひとりひとり訪れる毎にぴょんぴょんと飛び跳ねるウサギみたいに、大げさなリアクションを取って出迎える。実際、とても嬉しいのだ。そりゃウサギにでもなってしまう。ニンジン好きだしね。

ほとんど全員が揃ったところで、時刻を確認しようとスマホを取り出す。そうして、ちらりと見たグループチャット。
あいかわらず、小錦さんのメッセージにはほとんど反応していないようだし、個人的にやりとりしている人もいない。会話の流れの中で、誰も彼女の話題には切り込んでいなかった(やんわりと、無理しないで、的なメッセージを送っている人が数名いる程度)

あなたに味方はいないのよ。
だから、もしかしたら今日は来ないかもしれない、なんて頭の片隅で想像していた。

その時、駅のエスカレーターから降下してくる女性が一人。
ダボついたオーバーサイズのパーカー、ふわりと香り漂う漆黒のフレアスカート、くすんだコンバースのスニーカー。
髪はナチュラルにウェーブを巻いていて、サイドから緑色のエクステがワンポイント。絵に書いたような地雷系。
見慣れた姿の小錦さんが、軽く手を振りながら近づいてきた。

ギシリと音を立てたように、空気のこわばりを感じた。
でも、雰囲気に負けじと、努めて明るく笑顔を返す。
大人な私達はこれくらいじゃ乱れない。
あなたの思い通りには、ならない。

私達の代表的ポジションの男性が、「大丈夫だった?」と、カタチだけ小錦さんを心配する素振りをする。続けて劇団の一員みたいに、視線と心配のセリフを、一斉に彼女へ向けた。

「大丈夫大丈夫!なんでもないよ!」

両掌を激しくブンブンと振って、ついでに首も連動させながら明るく振舞う彼女に対し、メンバーの間に安堵の空気が流れる。
実際、彼女のややロートーンでゆっくりした声色に、怒りだとか不安だとかネガティブな感情は浮かんでいなくて、メンタルが落ち着ている時の小錦さん、といった印象だった。

普段、この子は明るくて社交的だが、非常に繊細で打たれ弱く、気分が落ち続けると途端に厄介な性質が表れる。いわゆる「病み」ってやつだ。こうなるとハリネズミみたいに周囲を傷つけたり、自分自身を卑下して止まらなくなったりする。

私は、そこが本当にもったないなぁ、と評価している。それがなければ、もっと人間関係を円滑にやっていけるし、彼女自身の魅力が十分に活かせるはずなのに。
ただ、人間の短所と長所は表裏一体。妙に期待せずに、どちらもまるっと受け止めるのがうまくやっていくコツだ。

その後、近場の雑居ビルの2Fにぽつりと構えるコワーキングスペースまで歩いて向かう。小ぎれいなエントランスで受付を済まし、ほとんど貸し切りとなった会場で、平和的にいつも通りの活動を終えた。もう4ヶ月近く同じ活動を繰り返しているから、進行も手慣れたものだった。

~ ~ ~

洗礼されたコワーキングスペースを後にし、電車で来たメンバーを駅で見送る。車で遠方から来ている人も一人いるので、進行方向が同じメンバーはついでに送っていってもらった。
私と小錦さんはというと、家の距離がそこそこ近いのもあり、集まりの後は軽くお茶していく機会が多い。今日も、なんとなく二人残ってそのままスタバに向かうことになったので、一緒に寒空の下を並んで歩いている。

個人的に言えば、とても仲良くさせてもらっている。
欠点も目立つ子だが、根は決して悪くはない。少々甘えん坊なところもあるが、趣味のこととなると、人一倍頑張れる子だ。実際には私よりも年上だけど、後輩のように接している。大きくて、ちょっとだけ捻くれた、甘ちゃんな後輩。そう思えば可愛いものだ。

フラペチーノの甘い香りがただようスタバの店内に腰を落ち着ける。大体いつも二次会場はここ。やや深めのソファー席。対面に、ちょっと猫背でちんまりと佇む小錦さんが腰かける。
奇抜で目を引くファッションセンスとは裏腹に、彼女はこういった人の集まる場所に苦手意識があるようなので、席はなるべく奥まったところがいい。一見すると隔離された空間を選ぶことが大事。ここだと、他と比べて少しだけ彼女の背筋が伸びる。ほかにも、彼女の背筋が伸びやすそうなポイントはいくつかあるけど、今日は運よく最奥の席を確保できた。

嫌な言い方になってしまうが、地雷系には地雷系の攻略法がある。こういった手合いと仲良くなったことは一度や二度ではない。だから、仲良くなる方法は熟知しているし、しっかり考えれば彼女の本心は透けて見える。

「ほーんとに大丈夫か~?」

ソファにかけてから、例のメッセージについてなんでもないように、心配する言葉をかけた。もしかしたら、彼女は無理しているのかもしれない。声色も表情も、普段のそれと比べると、やや違和感があった。少しだけカラ元気感がある。

これは純粋な心配。相手のタメを思って出た本心だ。
甘えるな、といったもう一つの本心を内に押し込めながら、彼女に心注をそそぐ。まず、相手の心理的な警戒を解くことから。赤裸々な話はそこからだ。すると、思ってもみなかった言葉が返ってくる。

「…なんで、それ、先週きいてくれなかったの?すぐに。」

にわか雨のような切り返しに、一瞬目を丸くする。
脳をフル回転させた。この子が望んでいることはなんだ。どんなセリフを言えば穏便に済ませられるか。

謝る?
それとも正直に話す?
しっかり前置きを入れたほうがいいかな?
…どれが正解?

頭の中にある過去問集を超高速でめくりまくる。類似の問題はなかったか、去年うまくいかなかった時、この子とどんなやり取りをして失敗したっけ。糖分に逃げたくなったが、ここで口元にフラペチーノを運んで口ごもるのは違和感しかない。それに、対応の遅れ自体が間違いになる可能性だってある。なんとか時間を稼ごうと、「うーん…」とか唸ってみる。

少しだけ産まれたゆとりの合間に、彼女の表情をじっくりと観察する。
怒っている?悲しんでいる?
しっかりと私の目を見つめ返す彼女の瞳から、なんとか真意を図ろうと深く覗き込んでみる。だけど、そこに感情の波は見えなかった。
わなわなと激情をたぎらせているようにも、極度に気落ちしているようにも見えない。

純粋に「なぜ?」を問いかけているのだろうか。しばらく待ってみても、その後の続きらしきものはない。
「もういいよ」とか「ごめんね、困らせちゃったね」みたいに有耶無耶にする言葉の到来を密かに待ったけれど、そんな淡い期待は時間とともに脆くもひび割れていくようだった。

店内に流れるBGMも、だんだん遠のく。私は彼女の目線から逃れるように顔を下に向けて、深く思案する。正解はどこだ。正解はどこにあるんだろう。頭の中の参考書を一通り履修し終えてみたけれど、どんな表面上の取り繕いでも彼女を満足させることが出来ない、と悟った。

なら、もう赤裸々に気持ちを話すしかない。だけど、直接過ぎる表現はだめ。この手の繊細な人間には、それ相応の言葉選びやオブラートが必要だ。ここからは、薄氷の上を歩くような作業。大きく一呼吸して、口を開く。

「気を悪くしたら、ごめんなさい。私が思った率直な感想を、ちゃんと伝えるね。」

「正直なところ…―― 何をどうしてほしいのかが分からなかったの。
どうにも小錦さんの抱えているものが、私達に触れられる問題じゃなさそうだったし、慰めの言葉ひとつで解決できるとも思えなかった。前に、ちょっとだけ話したかもしれないんだけど、多分、私たちがあーだこーだって手を出すよりも、自分自身でじっくりと考えたほうが、あなたのために…。ううん、この言葉は良くないな。小錦さんが、自力で解決して乗り越えるべき問題なんだろうなって、思った。だから、むやみに手を出すのも違うかなって、思ったの。」

そうしてゆっくりと気持ちを吐露していく。誤解を与えないように、最低限の傷で済むように。そんな祈りを込めながらポツポツと話した。彼女の瞳をまっすぐに見つけていたが、瞳孔に揺れはなく、ただ私の双眸を身じろぎのひとつもなく見返している。
いちど、吐ききった言葉が彼女にどう影響を与えたのか、確認のために言葉を切る。

彼女は、やっと少し目線を下に落とし、口もとに軽く丸めた人差し指の第二関節あたりを添えた。
すっかり空になったテーブルのコップへぼんやりと視線を向けながら、思い立ったように顔をこちらにむけた。

「ありがとう。入鹿さん。心配してくれて。
でも本当に、心が楽になったよ。そうだね、ちょっと私は甘えすぎていたのかも。これからは気をつける。ごめんね。イイづらいこと言わせちゃって。困らせるつもりはなかったんだ。これは反省しなきゃだね」

そうして朗らかに笑う小錦さんの表情を見て、ようやく心の緊張の糸が緩んだ。そこからは、いつも通りにお話できた気がする。

実のところ、小錦さんはよく話を聞いてくれる。
結構切り込み方が特殊なので(インタビュー受けてる気分になる)、自分もついついいろいろ語ってしまうのだが、彼女は興味ありげに話を受け入れてくれるのだ。

すっかり彼女のマイナスな部分は身を潜めて、穏やかで、幸せな時間の一部が帰ってきた。やっぱり、大切な友人とはこういう時間を過ごすほうが、よっぽどいい。その人の本来の良さを引き出してあげるのも、これまで人間関係に散々振り回されてきた、私なりの社交術だ。小錦さんとこれからもこんな時間を過ごせるんだろうと考えたら、温かな気持ちが湧いてくる。

でも、また気持ちを爆発させないようにと、しっかりと釘は刺しておく。甘えすぎはよくないよ。時には一人でなんとかしないとね、みたいなことを教訓話っぽく伝える。(どうしても辛かった声かけてよ。力になるからさ。)なんてことは、無闇に言わない。それキッカケで、また寄りかかられすぎても困るし、サンドバックになってあげれるほど、私は暇人じゃない。

これこそが、私なりに「キライな人や、苦手な人と接して培ってきた方法」だ。適度な距離感、気持ちよく過ごせる関係性、長く緩い持続性、それらをバランスよく、心地よく。それが私の幸福論。みんなもそうだったら、どんなにいいか。

~ ~ ~

店内を後にし、すっかりと日が沈んだ様子の街中に繰り出した。
風が増したのか、小錦さんの緑色が特徴的なサイドがパタパタと揺れている。フードを掴んでかぶり気味にガードする彼女と「わっ風強いね~」「うん、ほんとに!」みたいに、普段自宅で母親と会話するような気の置けないやり取りが続く。

思わず、フードを掴んでいる彼女の手をとって、ぎゅっと握った。初対面でこれをやると驚かれることが多いのだけど、私なりのおまじないだ。

今日という時間を一緒に過ごせて嬉しいよ。ありがとう。

そんな気持ちを目一杯伝えるための儀式。今日が出会える最後の日になっても後悔しないために。

小錦さんも一瞬驚いたけど、しっかりと握り返してくれる。私よりもほんのり高い体温が、私の両手を包んだ。嬉しいな。

もちろん、これだけで全ての悪感情が晴れるわけじゃない。意外と私は執念深い性格だから、やられたことはカンタンには忘れない。でも、それはそれ。これはこれ。スイーツみたいに別腹だ。
とにかく、感謝を伝えて今日一日を乗り切った。

ふと、小錦さんがまっすぐとこちらを見つめながら、なんでもないように漏らした。

「入鹿ちゃん、ありがとうね。わたし、今日もたくさん学ばせてもらったよ。甘えるなってさ、すごく響いたなぁ。甘えてることに気付けないことほど、愚かなことはないよね。やっぱり勉強になるなぁ。本当に、入鹿ちゃんの言った通りだね。ありがとう」

直後に、握った手にぎゅっと力が込められる。店内の温かさで感覚が十分に戻った手に、若干の痛みが伴うほど。
とっさに腕を引こうとしたが、彼女はまったく離す様子がない。グッとさらに力を込めてガッチリと固定され、彼女自身の胸の前へ、強引に引き寄せられた。

「これからも、たくさん学ばせてね?
 わたしの、大ッキライで甘ったれな、入鹿ちゃん。」

目の奥を、どこまでも覗き込まれた。
視界には、瞳の輪郭と、黄色のカラーコンタクトだけ。
急にパッと手を離され、驚くを私を置いていったまま、彼女は駅方面へ駆けていった。

その時、ポケットの中で、スマートフォンがピロリとなった。


新着メッセージ 1件
from:小錦「なんてね。今日は4月1日。エイプリルフールだよ。」



絵文字が一つもない、彼女らしさに欠いた無機質な文面を、私はただ見つめることしかできなかった。






~了~

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