映画再解釈|「幸せなひとりぼっち」日本人も愛すべきスウェーデン映画。
おはようございます。ネコぐらしです。
最近は朝活にシフト中。
日々「書きたい症候群」に追われています。
どんな分野においても、私がモノにハマる時はこんな感じのペース。
朝からちょっぴり”没頭”できるって、イイですね🐈
ということで、ドン。
「幸せなひとりぼっち」
(原題:En man som heter Ove)
監督:ハンネス・ホルム
出演:ロルフ・ラスゴード, バハー・パール, フィリップ・ベリ
2015年製作/116分/スウェーデン
さて本日は、こちらの映画のレビューをしていきましょう。
スウェーデン映画の可能性
まずどんな映画か、AI君説明を。
ありがとう。
スウェーデン製作ということもあり、国内での認知度はやや低めな印象を受けますが、とんでもない。
この映画は、いままで1000作品以上見てきた著者目線でも『屈指の名作』だと胸を張って言えます。
映画を1000見てきたと言っても、私の感性はどちらかといえば世俗寄り。
たとえば芸術点や独創性を審査しろ、といわれればまったくもって答えに困ってしまいます。
しかし、脚本/構成/演出を審査しろ、といわれればそれなりに根拠あるものが提示できる。
「幸せなひとりぼっち」は、とにかくこの脚本/構成/演出がすべてがハイレベルにまとまっている。
むしろ世俗的な娯楽を求める視聴者にこそ、目を留めてほしい作品なのです。
原題:En man som heter Ove(ひとりぼっちのオーヴェ)
妻に先立たれ、天涯孤独の身となったオーヴェは、ある日40年以上勤めてきた会社から「クビ」を宣告される。
町内でも屈指の頑固者と知られるオーヴェは、とにかく毒づく。
礼儀のしらない若者がいれば怒鳴り散らし、ショッピングではセット販売の割引セールが気に入らないと、自分よりふたまわりも世代が違う定員にクレーム三昧。吠え立てる犬がいれば主人の前で堂々と罵倒し、安物の外車(トヨタ)が走っていれば「くだらん」と憤怒し、野良猫には容赦なく当たろうとするし、近所にパトロールに出かけては持参のメモに「ちょっとした違反」をぎっちりと書き記すような執念深さも持っている。フレンドリーに話しかけようものなら、「会話など空気の無駄だ」「馬鹿め」とか返してくる始末。
…さて、ここまで読んでどうだろうか。
あなたはこの主人公オーヴェが好きになれる自信があるだろうか?
わたしにはない。断じてありえない。近所にいたら引っ越しを検討するレベルだ。一体わたしは何を観させられてるんだと、こちらが毒づきたくなる。
だが、スタッフロールを終えた後、あなたはこの老人の人生をこよなく愛することになる。
突然はじまるオーヴェの「終活」
クビにされたオーヴェは、その後家の荷物をすっちゃかめっちゃかつかみながら、古くからの友人に電話をかける。
「もうたくさんだ。
ここからでていく。
どこに行くかって?
電話も通じないところだ」
直後、スーツに身を包んだオーヴェは、天井から吊り下げたロープにクビをかけ、ゆっくりと体重をかける。そして彼の脳内に、人生を振り返るように走馬灯が流れる。
そう、とても自然に、そして唐突にオーヴェは自殺を決行する。
悲壮感が漂っているかと言われれば、日常シーンからのつなぎでいきなり始まるのだから、感情移入の隙間もない。
しかも冒頭のクレーマー全開のシーンを見させられてるものだから、いくらオーヴェの身の上に同情に出来る要素が揃ってようが、なんだか他人事で終わってしまう。
急になぞの情緒感に放り込まれるのが、本作のつかみの部分。
結果的に、彼の自殺は失敗に終わる。
隣に引っ越してきたトラブルメーカー「イルミナ夫妻」によって邪魔されることになるのだが、そこから超ド級の偏屈じいさんの人生が紐解かれていく。
『クレヨンしんちゃんオトナ帝国の野望』のひろしの回想シーン、覚えてる?
直接のリンクは控えたいので、岡田斗司夫さんの解説を代わりに引用させて頂きます。
クレヨンしんちゃんでも屈指の名シーンである『ひろしの回想』。
あまりのノスタルジーに何度見ても自然と涙が溢れてしまいます。
さて、めちゃくちゃ端的に説明しますね。
「幸せなひとりぼっち」でたびたび起こるオーヴェの走馬灯。
それが全部この(ひろしの回想シーン)だと思ってください。
もちろん、クレヨンしんちゃんの場合だとテレビ放送の歴史すら全部ひっくるめた濃縮具合なので単純な比較はできません。
でもたった1時間56分の上映時間ではおおよそ想像できないくらい質量を持ったオーヴェの人生が、スクリーンを通して私達の目に飛び込んでくる。
これは秀でた演出、秀でた脚本によってまるで時間が引き伸ばされたかのような、ある意味『映画史における相対性理論』的な現象が起こるのです。
しかも「たびたび」ですよ。この回想タイムは1回では終わらないから、この映画はすさまじいのです。
無から時間を生み出されていく様は、さながら『脚本の錬金術師』の『演出の石』。(ちょっと何言ってるかわからない🍩)
オーヴェは回想の中の妻の前と、墓前でだけは、素直な青年へと戻ります。反省し、自省し、前をむく。
彼の喪失感は、現代のオーヴェだけ眺めていても分からない。
だが、視聴者だけは彼の記憶に入り込んで、直接目の当たりにできる。
その光景の破壊力が、もう、すさまじいんです。ハンカチかバスタオルの事前準備をおすすめします。
車好き、にはたまらないらしいが…。
作中の目玉の一つに、車種過激派における代理戦争的なシーンがあるのですが、、、
悔しいことに私は車にまっっっっったく詳しくない!
絶対に面白いテーマであるはずなのに、わたしにそれを語る見識がないのです!
いうなれば、わたしはこの映画を100%堪能することができていない。それが無念なのです。。。
軽く説明すると、主人公のオーヴェがSAAB一筋。
近所に引っ越してきたルネがVOLVO一筋。
オーヴェとルネは、性格的には意気投合するんですが、車の趣味だけは壊滅的に合わない。
最終的にルネが「BMW」に乗り換えたことで二人の仲は完全に決別するのです。ここは車を良く知らない私でもなんとなく分かります。「あいつは誇りはなくした」と偏屈じいさんそのものな感想をこぼすオーヴェに共感できちゃったし、正直笑けてきますw
ちなみに、こちらの映画、アメリカでリメイクされているのですが、そちらでは「BMW」ではなく「トヨタ」で決裂します。なぜ…w
もし車についてお詳しい方いらっしゃいましたら、ぜひコメントで見解をお聞かせ願えませんでしょうか…!
スウェーデンは「偏屈じいさん」排出しやすい体質
みなさんは「スウェーデン映画」と聞いて何を思い浮かべるだろうか?
どうでしょう。
私はというと、実は何も思い浮かばなかったのです。
他のスウェーデン産の作品を知らないのです。
1000本ぽっちの映画視聴歴では、スウェーデンを補完できていなかった。
それなりに観てきたつもりでしたが、情けないことに北欧に関して知見が乏しいことに気づきました。
なので、この場をお借りして、スウェーデンについて解説をさせてください。わりとガッツリめに。
※シンプル映画の感想だけを見たい場合、次の項目まで飛ばしてOKです!
スウェーデンの代表的な特徴といえば、北欧諸国に広く見られる福祉保障制度の充実。つまり高税金高福利。
住民税平均が約32%。日本平均の約10%と比べれば、その差は歴然です。税徴収も中央政府が直接管轄するのではなく市町村(コミューン:自治体)毎にフレキシブルに対応するため、地域密着型の網羅的な福祉の提供が実現できています。
重課税であっても、豊富な福祉の充実と網の目からこぼさない政治体制により世界幸福度ランキングが軒並み高い北欧諸国。
スウェーデンもその例に漏れません。
国民性も独特で、ゲルマン民族の流れをくむ系譜ゆえに、自立と透徹された合理精神が是とされています。
つまりは「勤勉であれ。納税しろ。義務を果たしてから権利を主張しろ」といった「欲しがりません勝つまでは」といった前時代的な文化様式が、スウェーデン人の根底にあります。逆にいえば、スウェーデン人には日本人が尊ぶような「ホスピタリティ」文化が薄い。
それこそ、作中のオーヴェみたいに偏屈な考え方をしたおじさんおばさんたちがそこかしこにいる。それがスウェーデンの日常だそうです(※オーヴェはその中でも指折りのようですが。
この考えは、スウェーデンの死生観にも大きく影響を与えています。
「安楽死認可国」ではないものの、死に対して個人の意向を尊重する傾向にある。
ベースとして、自立(律)できなくなった個人は緩やかな死を迎えるべき観念がある。
日本の「救える命は救うとして医師が自身の体力の限界まで患者さんに“奉仕”する」とは違い、そうしなくとも動けなくなればゆるやかな死へ向かうのは当然であり、救命に砕心しなくとも世間や社会から責められたりはしません。
”死”すらも自己責任な文化圏です。
ありのままの死を受け入れる、という言い方のほうが適当でしょうか。
作中で目を疑うほどオーヴェの自殺描写が日常からシームレスだったのは、スウェーデンの死生観から見れば、なんてことのない、ごくありふれた日常の光景の一つなのかもしれません。
国民が求めてやまない『献身性』を描いたお話。
さて、結局この映画の何がすごいのか。
映画は人の数だけその解釈があります。
なので、ここからは私の一個人としての見解ということを先に申しておきます。
スウェーデンには慢性的な社会問題があります。
「スウェーデン・パラドックス」です。
自律、自給の文化が根強いスウェーデンでは、キャリアアップの道筋、同一労働同一賃金、それをサポートする網羅的な福祉保障は他国に類を見ないほど充実しています。報われる文化と勤勉さが相まって、30%という重税に耐えうる国民性が育まれている。
しかし、能力至上主義ともいえるため、能力のない人ある人との間に経済格差が広がってしまう。自国内での徴税に特化した政治形態なので、移民の受け入れや多様性の概念が入ってくると非常に脆くなってしまう性質もある
この経済格差緩和と、課税緩和。どちらかを詰めれば、どちらかが破綻する。どうやっても両立できない状態を指して「スウェーデン・パラドックス」と呼ぶそうです。
作中では、隣に引っ越してきたアラブ系移民の「イルミナ」が、オーヴェを含め、周囲の環境を劇的に変えていきます。
イルミナはトラブルメーカーではありますが、とてもお節介でその本質は優しさに満ちあふれている。彼女はオーヴェのよき理解者となります。
ご近所さんにもたくさんキャラの濃い連中が集まっていて、話題に事欠きません。
裏切りのBMW「ルネ」
オーヴェと同居することになるLGBTの「ミルサド」や、オーヴェが「うすのろ」と呼ぶドジな男性。
天真爛漫なふとっちょITオタクの「イミー」
最終的にオーヴェと暮らすとにかくかわいい意地っ張りの「ネコ」※名称不明
あえて彼らを記号化するなら、ご近所は多様性そのものにあふれている。
彼らの暖かな献身によって、偏屈な老人オーヴェ、すなわちスウェーデンの国民性そのものを氷解してゆく、そこが本作の見所です。
自然と引き合いにでたのが『最高の映画』だった。
本作の魅力を語るために、突然ですが、ひとつの怪作を紹介させてください。
「きっと、うまくいく(原題:3idiots)」というインド映画です。
これは本当にバケモノみたいな作品で、いうなれば、おおよそ関わり合ってはならない社会にあるテーマを全部持ち寄って闇鍋にかけたら、なぜかミシュラン三つ星レストランのコース料理になっちゃったって感じの映画です。
こちらについては別の機会に紹介するとして…
とりあえず「きっと、うまくいく」が「ネコぐらしが見てきた1000本の中でも、最高の映画TOP5に一生ランクインし続けている作品」いうことだけ認識して欲しい。
この作品と同じ土俵で並べるのは、あらゆる「映画」にとって非常に酷な話だということを強調させてください。
しかし、それでも、「幸せのひとりぼっち」を語る時、私の脳内で自然に引き合いに出されていたのは、「きっとうまくいく」だったのです。
無意識に同じ土俵に立たせたコトが、私の中では衝撃だった。
正直、「幸せのひとりぼっち」を初めて観た時の感想は「ストレスフリーなイイ映画」止まりでした。いい人どまりなのです。
しかし、面白いことに、見れば見るほど味わいが深まっていく。
本作も、スウェーデンの社会問題モリモリの闇鍋なのです。
完成した料理は、間違いなく国が胸を張って世界に発信できる、そんな一品に仕上がっている。
2回3回と繰り返す内に「これは考えを大きく改なければいけないかもしれない…」と思わず覗き込んでしまう”深さ”がそこに広がっていたのです。
終わりに
元々は、スウェーデンの娯楽小説として出版された『En man som heter Ove』がオリジナルですが、なんとこの本、スウェーデンの全人口の10%が購入したという世紀の大ベストセラーなのです。
人は物語を渇望したのです。
潜在的な社会問題を認識しつつ、誰も表立って議論ができなかった。「スウェーデン・パラドックス」のその輪郭がハッキリ見えているけれども、誰も触れられない。誰も解決ができない。仕方がないことと、心を閉ざして目をつぶる他なかった。
だからこそスウェーデンの国民たちは「幸せのひとりぼっち」に、心を託したのでしょう。
この映画には、そんな人々の渇望と情熱と、何よりも希望が込められているのです。
ぜひ、偏屈老人オーヴェと、過去と未来の旅に出かけてみてください。
「幸せのひとりぼっち」は、間違いなくわたしの『推し』映画です🐈
prime会員なら現在無料で視聴できます!(※2024/02/08現在)
ネコぐらしは『文字生生物』を目指して、毎日noteで発信しています。📒
※文字の中を生きる生物(水生生物の文字版)🐈
あなたのスキとPVが、この生物を成長させる糧🍚
ここまで読んで頂き、ありがとうございます✨
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?