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「よお、元気してるか?」「さっさと帰れ」


そいつはお決まりの缶ビール片手に、のそのそとリビングに侵入してきた。

ダイニングテーブルにノートパソコンを広げて、カタカタと没頭する私の背中に声をかけてくる。


「また、やらかしたんだってな」


うるさい、と反射的に叫びそうになるのをこらえ、タイピングを中断するだけにとどめる。


そいつのにやけ顔が目に入るのが嫌だから、振り返ることはせず、ディスプレイから目は離さずに背もたれへ体を預ける。




「あんたには関係ないでしょ」


「関係なくあるかい」


カシュと、背後からプルタブがフタのアルミをこじ開ける音。


後方のソファにでもふんぞりかえっているそいつの姿が、ディスプレイに反射しないのは幸いだった。


買ったばかりのノートパソコンを投げつけて、また出費が重なる事態はごめんだ。

口の中にさんざんたまった溜息をテーブルの面にぶつけながら、かたわらの透明なカップに手をやる。

輪切りになったレモンが透明のショーケースの中でゆらゆらと漂う。

果肉のかけらが、本体からこぼれおちて、水族館の小魚みたいに泳ぎ回っている。



「お、乾杯ってか? 景気がいいねぇ」



カラカラと後ろから響く声が、四方20cm程度の円錐の水族館から、私の意識をむりやり引き戻す。

声の後半が空気を吸い込む音に変わりフェードアウトしていくような引き笑いに、神経を逆なでされる。


「うるさい。たまたまタイミングがあっただけだ」


呑み込んだはずの言葉が、すっかり逆流する。

こいつはどこまで、いつまで、私につきまとえば気が済むんだろうか。



「タイミングとは、けったいなことを言うな。いつだって俺はここにいるってのに」


「誰もたのんでない。さっさといなくなっちゃえ」


「はっ、まるでこわくないね。おまえの脅しなんざ聞き飽きたわ」


「じゃあいい。無視する。おまえの存在なんて否定してやる」




話のあいまあいまに缶ビールを飲む音が聞こえて「片手間にお前の話をきいてやってる」なんて態度が透けてみるようで、なおさら私をいらだたせる。


ああいえばこういう口をふさいでやりたくなる。

でも、あいにく顔すら合わせたくないし、みられたくもない。

背中越しに、にごった言葉をかたっぱしからぶつけてやる。


面と向かってなどくれてやるものか。じゃあこっちも片手間で十分だ。



「無視できないだろうから、こうやって親切に話しかけてやってんだろ?素直になれよ」



下衆た含み笑いに、はらわたが煮えくりかえりそうになる。

いっかい無視して、レモンティーのコップに刺さったストローに口につける。

水流が勢いづくように、レモンのかけらがくるくると回る。

天井の光が反射して、果実にまとわりついた水泡がしろくプツプツと輝く。

それでわずかに心を取り戻して、そいつの言葉をなんとか中和していく。





「……で。いつ帰るの」


「あん? 無視すんじゃなかったのかよ」


「…うるさいな。タイムリミット決めないと、落ち着かないんだよ」


「おお、おお。そんなこと言って、本当は俺に帰ってほしくないんだな。素直になってきたじゃねぇか」


「は?どんだけ曲解したらそうなるわけ? うっざ」


「説得力ねぇぞ。おもしれぇから、最初のプランよりも長く居てやるよ。どうやら、今はお前にゃ俺が必要みてぇだからな」




頭を抱えたくなった。

すっかりキーボードに手を置く気がなくなり、本気のため息がまた肺に充満しはじめた。




「いい加減にしてよ。そうやって全部都合よく受け取ってさ。だから、いつもうまくいかなくなるんじゃん。気づいてよ。ちょっとは察してよ。」


「おお、よく吠えるな。弱い犬ほどなんとやらだ。」




決めた。
ぜったいにそっちを向いてやらない。
私の視界に映してなんかやらない。
私の世界にいれてやらない。

黙り込んでやると、そいつはそのまま続けた。




「言ってやるがな、都合いいのはお前のほうなんだぜ?俺をいないモノ扱いしたり、厄介者あつかいしたり。察してほしい、ってのはよっぽど俺のセリフだぜ。」



プルタブをいじくりまわすような音が部屋に響く。


すぐに空の缶をくしゃっと潰す音が鳴ったと思ったら、二本めの缶ビールをこじ開ける音が聞こえてきた。


それを無視して、気が済むまでしゃべらせてやる。




「いつもうまくいかないのを俺のせいにされんのも、心外だな。俺はお前の都合にあわせて来てるんだぜ。現に、こうして俺に汚い言葉ぶつけてんのだって、アレだろ?ストレス発散みてぇなもんだろ?手ごろなサンドバック役に俺を選んでんだ。むしろ、こんだけ都合のいいやつってのも他にいねぇぞ?はっ、感謝してほしいくらいだね。」


減らず口をたたき続けるそいつ。

空間がそいつの言葉だけに支配されて、私は閉口するしかなくなっていく。

いや、決して打ちのめされたわけじゃない。

そいつがいい加減なことばっか言うから答える気力も失せただけだ。



キーボードに手を置く。

指先がうごかない。

文字も読めなくなってきた。




「お前がいらだってんのも、お前自身がまいたタネなんだよ。俺はハナサカジイサンってわけでもねぇ。水やって、育ててんのは全部お前が決めてやったことだ。お前は都合がいいからな。調子いいときは俺の意見なんざ耳に入らねぇだろ?」



「それについては、ごめん…」




自分でも驚いてしまった。

なんでこんなやつに謝らなきゃいけないんだ。

頭の中は反発心でいっぱいなのに、真逆のセリフが口から漏れ出た。

涙があふれそうになる。

くやしさ、とも違う。

いかり、とも違う。




「お?まさか傲慢なお嬢様から、そんな素直な謝罪がでてくるたぁな。お付きのサンドバック役としては嬉しいかぎりだぜ。
 だが、張り合いがねぇな。もっとこう段階を踏んでもらわなきゃ、喋りがいってものがないぜ」



「…謝ったんだから、もういいじゃん。うだうだ言っても、あんた増長するだけだし。…ほら、もう出てってよ。あんたがいると仕事になんない」




「はっ、泣きそうになりながら言われても説得力がねぇな。そうして俺が出てったところで仕事になんないのは一緒だろ?そんなときは酒でも飲みながらバカみてぇな話をするに限るぜ。」



「うるさい、社会不適合者。わたしには生活があるんだよ」


「はん、急に自己紹介なんざはじめてどうした?」




テーブルを思わず叩いた。

勢いのまま振り向きそうになるのをこらえる。

なんとしても顔は合わせたくない。




「おお、おお、なんの罪もないテーブルがかわいそうだぜ。いたずらに耐用年数消費させんの、俺はどうかと思うがなぁ」




そういって、またビールが喉を越す音がひびきわたる。


レモンティーを手に取って、また啜ろうとするが、ズズズっという物悲し気な音を最後に、香りづいた空気だけが口の中にふんわりと漂った。


液体がすっかり枯れ果てて、重力にまけた輪切りの果実だけが底に佇んでいる。

後ろから、缶ビールをつぶす音が響いた。




「ちょうど飲み終わっちまったな。早いもんだ。もう少し味わって飲んでもらいてぇもんだがなぁ。せっかちなお前にゃ難しいか?」


「そっちが勝手に飲み終えたんだろ。私は関係ない」


「関係ないと思ってるうちは成長しねぇぜ。大人になれよ」



「じゃあさ、聞くけどさ、あんたは何様なの?こうやって居座って、私をバカにするだけして、苛立たせて。何がしたいの。もうやだよ。消えてよ。あんたがいると何も手につかない」



「おいおい、何をいまさら。お前は俺のことをさんざん書いてきたじゃねぇか?よくわかってんだろ」



ソファから立ち上がり、私の真後ろまで、そいつが近づいてくる気配がする。


「人間関係で大層失敗した時なんざ、俺はひっぱりダコにしてたろ。ごまかしてぇ気持ちも分からんでもないがな、そうやって無視して苛立ってんのは、結局は自分ってことだぜ?俺は何もしてない。せいぜいこうやってお前ン家のソファーを借りて居座るぐらいだ」



背中に手が伸びてくる感覚がする。


嫌悪感とも信頼感ともつかない気持ちが、流れ込む。



「まぁなんだ。抵抗しないってことは、お前もちっとは成長してるってこったな。覚えてるか?前は有無を言わさず掴みかかってくる有様だったじゃねぇか。どうだ?今を見てみろ。こうやって素直に謝れてるし、ちゃんと俺の声に耳を傾けてんじゃねぇか。」




「気持ち悪い。いきなり優しくなるな。」




「はっ、そういう業突張ごうつくばりなとこは変わんねぇがな?まぁいいさ。素直な人間じゃねぇのは今に始まったことじゃねぇ。ちょっとづつ自分を認めて、生きていけよ。お前が望んでやってることじゃねぇってのは、よく知ってる。」



やめろ。それ以上、言葉を続けて欲しくない。





「ほれ見ろ、もう言葉にもなってないじゃねぇか。あきらめろよ。諦める。それが素直への第一歩だぜ。」




お前なんか嫌いだ。好きになりたくても、絶対に好きになんか慣れない。



「おお、上等だ。嫌われ慣れてんのはこっちも一緒だ。嫌われ者同士仲良くやろうぜ?まぁ、絶対なんて絶対ない、ってのは俺の信条でもあるからな。俺はしつこいぜ?根気強くあたってやるから覚悟しろよ。」



「お前の人生だ。肯定しようが、否定しようが俺はいなくならねぇ。俺はお前のことを否定もするし、肯定もする。それと同じことなんだよ。だから、生かすも殺すもお前次第なんだ。ほれ、言ったろ。サンドバックと変わりねぇんだ。もっと気楽に、自由に使ってみろよ」





そうして肩に置かれた手の感触は、まるっきりなかった。





振り向く。


ソファーの前のローテーブルには、くしゃりと潰された空き缶が二本。

閉まり切ったドア。

ソファーのしわ。

人の気配がしないダイニング。



空になったレモンティーのコップを片手に、のそのそと立ち上がる。

足元のふらつきが、単なる疲労からくるものでないことは、よくわかっていた。


ローテーブルに、放られた空き缶をつかむ。

そのゆがんだカタチが、私の手のカタチによく馴染んだ。









”そいつ”の正体

”そいつ”のライバル









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