見出し画像

哲学|この世界は本当に「ユートピア」だろうか。一介のペシミストのお話。



人生観は言葉に現れる。


友人と語っていると、この人には世界が楽園(ユートピア)のように映っているんだろう、と感じることがあります。

人の温かさ。
交流することの楽しさ。
言葉を交わすことで得られる確かなもの。
何気ない平和な時間。

この世界は魅力に満ちていて、かけがえのない毎日がきらめいている。

話していると、「希望」や「パワー」が考えを通して伝わってくる、そんな素敵な人がたくさんいます。

ですが、私はどうにも厭世的な面が強く、いってしまえば悲観主義。
どうしても、「世界がきらめいている」ように認識ができないのです。

私とその人で観ている光景は同じはずなのに、なぜこんなにも違っているんだろう。
そんな深掘りをしていきたい。





お釈迦様のペシミズム


ブッダの姿を模した、銅造阿弥陀如来坐像(神奈川県鎌倉市・高徳院・鎌倉大仏)


ここで、お釈迦様ことブッダ(ガウタマ・シッダールタ)に世界はどう見えていたかの話を持ち出してみます

ブッダは社会そのものを「苦」とみなして、そこに幸福はない、と説きました。

有名な四門出遊のエピソードがあります。

王子の身の上であった彼が、中央の王宮から抜け出して遊びに行くのですが、街の東西南北でそれぞれ、老人、病人、死人、世捨て人(僧)と出会い、のちのち悟りを開くきっかけとなった、という逸話です。

それまで裕福で寵愛され、何不自由なく暮らしを送っていたブッダが、たった4回の「お忍び」だけで、そういった世間の負の部分に注目し、全てを投げ捨てるほどに影響を受けたのでしょうか。


まずこの話から『育ってきた環境によって、人の視点は変わる』という説は、考えにくくなります。

豊かな生活は、楽観的な視点を育み。
余裕のない生活は、悲観的な視点を育む。

仮にこれが事実だとすれば、ブッダは王宮に帰った時点で、きらびやかで安全が約束された実家に感謝の念を抱くはず。

(王子であるという立場が、ああいった三苦(老、病、死)から私を守っていてくれたのだな…ありがとう。)ってな風に。

しかしブッダはそうならなかった。

かれは四苦を定めてしまった。すなわち「生きることも苦しみだ」と、なぜか悟ったのです。

それは彼が遺伝子的に、物事の悲観的な面を切り取る性質、つまりペシミズムを備えていたから、起こり得たことでしょう。

ブッダの本質はきわめて厭世主義(ペシミスト)であったことが察せられます。



ペシミズムの立役者、ショーペンハウアー


ショーペンハウアー/27歳頃の肖像。

もっと近代の例をあげれば、哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーにも厭世主義を象徴するエピソードがある。

彼も裕福な商人の家系で育ち、家族で三ヶ月ヨーロッパ周遊大旅行に出掛けられるほどの資産に恵まれていました。

審美眼を磨くべく美術館に通い詰めたり、社交術とは何たるかを間近で学び、劇場に足を運びオペラを鑑賞する。幼少期からそういった英才教育を施されていたと言います。

しかし、彼が着目したのは、やはり社会の悲観的な部分。

こき使われる労働者、路上の物売り、絞首台、強制労働、社会格差。

そういった社会の悲惨さに目がとまっていたのです。

彼は父の反対を振り切って哲学者の道を歩みました。



何よりもショーペンハウアーはブッダの信奉者でもありました。

ペシミズムを学問として体系化したのは彼の功績ではありますが、その源流は自身の体感的経験とインド哲学、すなわちブッダからの教えだったのです。

ちなみに、彼は相当のプレイボーイだったようで、晩年まで様々な女性との交際エピソードには事欠きません。

わたしの勝手な印象ですが、ドイツ版太宰治、といった感じがすごく納得感のいく人物像です。


あなたの「ペシミズム度」は?


橘玲著「無理ゲー社会」というセンシティブなタイトリングがされた本があります。


ここから一つ言葉を借りると

「遺伝子によって産まれ落ちた日から、人生の大半が決まっている」


極端ではありますが、まさに社会がユートピアに見えているか、ディストピアに見えているかを二分する、残酷で真実味のある論に思えるのです。

みな、なるべくしてなる。いってしまえば運ゲーなのだと。


「遺伝子で全て決まる」

これは、うなずける面もあるが、否定的な面もある。

「環境がその人に影響を与えないというのか?」と聞かれれば、答えはNOです。

固着化した生活様式の中では、かならずイデオロギーが育つ。

関わったメンターによって、天職を見つけられる人もいれば、悪い人をメンターと誤認して人生が崩壊する人もいる。

両極端な見解が同じ個人の中に存在するのも、ごく当たり前のことです。


じゃあそういった断片を集めて、いざ天秤にかけた時。

悲観と楽観、どちら側に傾きやすいのだろうか?
その傾きは何度くらいなのだろうか?

そういった取り留めの無いことが気になったのです。


要は「どこまで自分がペシミストになれるのか」を試してみることにしました。

以下に「レベル別ペシミストリスト」を作ってみました。

あなたなら、どこまでうなずけるだろうか。

・・・

レベル.1
小さな不具合や不便さに過剰に反応しがち。
「こんなことでイライラするなんて、私はひどい人間だ。努力せねば」と、自らを律して社会に向き合っている。
社会と自分とが、どこかズレているような小さな違和感を人生に感じ始めている。

・・・

レベル.2
世の中の閉塞感を訴えずにいられない。
政治や社会の現状に幻滅感を抱き、具体的な展望が持てないまま不満を口にする。社会と自分自身との間に著しい乖離があると気付きながら、幸福を求める心がまだ残っている。

・・・

レベル.3
人生の意味を見出せない。
自分や人生の意味をあれこれ考えるうちに、虚無感や空虚さを感じる。
自分自身の専門を大きく離れた、一見して関係のない分野に興味を見出したり、自身の世界観が狭義的だと十分に自覚し「未知の未知」に希望を抱く。

・・・

レベル.4
全てが虚しいと感じる。
物事の裏側まで見通してしまい、全てが虚像にしか見えなくなる。
これが最も徹底したペシミズムであり、決して接触不可能な神やイデア界にしかもはや「答え」はないと突き止め、達観してしまった。

・・・



おそらくですが『レベル.1』すらまったく共感できない人も多数いると思います。いや、大半がそうでなければならない。

少なくとも、私の生活圏内の人間の過半数がもしペシミストであったならば、私の在り方はもっと自由なモノに変わっているはず。しかし、相変わらず私はペシミストのまま。


レベル3以上の方こそ、自分自身と向き合う機会が多かったのだと思います。そこから学んだことが自己実現へとつながっているはず。
わたしも目指すべき段階ですね。


※少し補足をいれますが、「一時的に苦しい思いをした」というのは、外してほしいのです。ここで挙げたレベル別ペシミストリストは「慢性的に感じているもの」として捉えて欲しいのです。



積極的なペシミスト


ペシミストは決して消極的な考えの持ち主、というわけではありません。


  • 「資本に頼らず、今の生活をもっと豊かにする為にはどうしたらいい?」

  • 「精神的な充足は、どう獲得するべきだろうか?」

  • 「弱者や強者という枠組みにとらわれず、人が手を取り合うためにはどうしたらいいのだろうか?」


かつての宗教や哲学観念から現代への架け橋を見出そうと、新しい価値観を探し続けることができるバイタリティを持っています。

しかし、ペシミズムを内面化しすぎると、現代社会の矛盾を強調しすぎてしまう。つまるところが「出る杭」です。
社会通念から外れる言動は周囲から理解を得づらく、生産性がないと見なされかねないもの。

しかしそれでも、些細な不満に目を瞑り、盲目的に「今」を肯定することこそが、本当の意味での「ディストピア」なのかもしれません。

ペシミストは、
現状に屈せず、よりよい未来を見据えたいからこそ悲観的になる。
楽な道ではないと分かっているからこそ悲観的になる。

意外にも建設的な特性なはずなのですが、言論の力がすっかり失われた現代では、力を発揮しづらい側面もあります。
「悲観的」という言葉の造りが誤解を招くタネになっている気もします。




レベルに合わせて、生きる。


私は段階的にはレベル2のひよっこ、という自己分析結果がでました。

現状私にできることといえば、

「政治や社会の現状、そして自分自身に幻滅感を抱きながらも
 具体的な展望を探し、学び続けていくこと」です。

このブログを書くこと自体が、私にとって小さな一歩だったり。

ペシミストにとって普遍的なテーマは、苦痛の種になりがちなものです。
周囲の人間とズレていくことは、とても当たり前なこと。


ありきたりな答えになってしまいますが、

「自分のスキを追求していこう」

に尽きますね。

それこそ、ショーペンハウアーやブッダのように、生まれや育ちにとらわれる必要はありません。

小さな疑問でも放置せず、根気よく掘り下げていけば、どこかでブレイクスルーが訪れるかもしれない。

そう信じて、今日も活動をするのです。


アナと雪び女王で「ありのままで。」という言葉が流行りましたね。

もしかしたら、自分がペシミスト的傾向があるかどうかを判断するには、これが一番手っ取り早いかもしれません

ありのままで居た時、この世界が

「ユートピア」に見えるか。
「ディストピア」に見えるか。

さて、どちらでしょうか?

ではでは。



ネコぐらしは『文字生生物』を目指して、毎日noteで発信しています。📒
※文字の中を生きる生物(水生生物の文字版)🐈

あなたのスキとPVが、この生物を成長させる糧🍚

ここまで読んで頂き、ありがとうございます✨

#毎日note


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?