春いと麗しく桜儚く散る
私の住む街にも、桜による春の便りが届いた。
ほんのり淡く柔らかな花々に顔を埋める木々。
桜は私が最も好きな花だ。
春。
あの優しい色味
ふんわりとした花びら
それらが集合体となりもこもこと成る様子
夏。
緑が生い茂り生命力溢れる力強い姿
秋。
カサカサと潤いをどこかへ置いてきた葉が静かに落ちてゆく過程
冬。
静寂な姿に追い打ちをかけるように雪が被る有様
春夏秋冬、各季節を忠実に反映する。
春の印象が強い桜。
私も春の桜が1番好みではあるが、どの季節に色を染めても、その姿は美しい。
四季のある日本に生まれてよかった、
そう思わせてくれる桜が好きだ。
そして、もうひとつ。
私が桜を愛する理由がある。
“なまえ”がお揃い、だということ。
私の名前は “さくら” という。
漢字3文字でさくら。
その字は異なれど、両親が名前に想い込めた根源は“桜”に起因する。
日本には法定上の国花はない。
だが、国民に親しまれている桜は国花のひとつとして扱われているようだ。
古来から日本人に愛され、今では世界中の人々からも愛されている花。この子も多くの人々から無償の愛を受ける子になってほしい。そんな想いを込めた、と聞いた。
実家には、私の記念樹がある。
枝垂れ桜。
私が生まれた時に、祖父の手によって植わった一本の樹。今春も力強い桜色に染まっていた。
年々、自分の名前に愛着が湧き、
桜が好きになってゆく。
そんな桜の花も、先週末に満開を迎え、今朝は春風に揺蕩う様子が伺えた。
「桜の開花予報」 「有名お花見スポット」
などと、まだ鋭い冷気が肌を刺す頃から、今か今かと待ち望まれているその命は、たった数日余りで終わりを迎える。
淡い美しさが、儚さを想起させるのか
はたまた、
儚いが故に、美しいと感じるのか
どちらが原因でどちらが結論なのかは定かではないし、寧ろその二点に因果関係なんてものは存在しないのかもしれない。
だか、儚さがそのものの尊さをより濃く醸し出しているのは確かなのではないだろうか。
永遠に見て触れることができるものよりも、
僅かな命と分かりながら接する方が、
より有難みや慈愛が増すのではなかろうか。
私は両親の願うように、桜のような存在でありたいと思う。
ただひとつ。
仮に、桜が美しいと思われる理由が
“儚さ”故だった場合。
そうだった場合にはその性質にだけ、反骨精神を抱きたい。
儚いから、すぐに消えて無くなってしまいそうだから、だから愛してもらえる。そんな存在にはなりたくない。
万人に好かれたいとは思わなくなったが、それでも家族や友人、恋人などからは愛されたい。その理由が、すぐいなくなるから、消えてしまいそうだから、そんなものではなく、関係が永遠のものだったとしても、愛を享受したいし、それを上回る愛を贈りたい。
今春も見目麗しい桜に、心揺さぶられた。
大切な人と、その姿を瞼に焼き付けることができた。
去ってしまうのが名残惜しく、またすぐにでも会いたいと思うのは、贅沢な我儘だろうか。
「わたしを忘れないで」
そう告げる貴方を忘れる人は、そういないだろう。
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