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【短編小説】プリズン・ブレイキングダウンその後…。

「ハァ…、ハァ…」

 男は、一心不乱にツルハシを振り下ろし続けていた。
 やがて男の正面から一筋の光が差し込み、それと同時にパラパラと光の周りの小石が崩れていく。

「ハァハァ…。やった! 脱出成功だ!」

 男は、両の拳を天に突き上げ喜んだ。数瞬遅れてカランカランとツルハシが地面に落ちた金属音が辺りに鳴り響く。
 男は興奮しながら光の範囲を広げていく。そしてその光が人ひとり入ることができるほどの大きさになると、男は躊躇わず光に向かって右足を一歩踏み入れた。

 ーーその、瞬間だった。


「ーー待ちな。お前さん、一体どこへ向かうつもりだ?」
「!? アンタは、一体…」

 誰も存在しないはずの空間に、自分以外の何者かが存在する。男は一気に高まった心拍数を気合いで押さえ込み、声のした方向に向かって恐る恐る顔を回す。
 そこには端正な顔立ちの男が壁に背中をもたれさせながら不敵な笑みを浮かべており、男は自分が値踏みされているような、言い知れぬ恐怖を感じていた。

「……慌てるな、俺も収監者だ。こうやって脱獄をするために穴を掘り続けている、要は同じ穴の狢ってやつさ。ここは俺が3年かけて掘り進めた穴に作った中継地点の一つだ」
「何だ、まだシャバに出られたってわけじゃないのか…」

 男は依然警戒を続けながらもそっと肩を撫で下ろした。気さくに声を掛けてきた目の前の男はかなりの好青年のように見える。その男が収監者であると語るのだから、男は目の前の男に誠実さと妖しさが同居したような、言い知れぬ胡散臭さを感じていた。

「まあそんなに気を落とすな。まさか俺以外に脱獄を企てている野郎がいるとは思わなかったが、好都合であることに変わりはない。何てったってこれで労働力が単純計算で2倍になるわけだからな」
「ーーやれやれ。まさか収監者と掘り進めた穴が結合するなんて思っても見なかった。とはいえ、流石に腕が痺れてきたところだ。ここは素直にお前の提案に乗らせてもらうよ」
「だろ? それじゃあ早速もう一仕事ーー、ってちょっと待て!? お前一体どこから掘り進めてきたんだ!?」

「どっちってーー、こっちだけど」

 男は、目の前の男が指した方向とはまるっきり反対側の方向を指し示した。目の前の男はその方向を見て驚愕した様子で、ポカンと男の顔を数秒見つめる。

「……何言ってやがる! 俺は脱獄するために3年の月日をかけてこの方向から穴を掘り進めてきたんだぞ!? だったら同じように脱獄しようと掘り進めてきたお前と方向がこうやって逆さまになるわけがーー、いや待て。お前、まさか…」


「ーーそう、俺は入獄者だ」





「……そうか、やはり外の世界はそんなことになってしまっていたのか」

「ああ。最初は良かったんだ。インターネットが発展したことによってメディアが多様化し、決して巨大な影響力を持つ組織が言論統制を取れるような社会ではなくなった。それに伴ってこれまで沈黙を貫いてきたマイノリティーが発信をしやすくなり、それまでの価値観を個人で覆すことが可能な理想の社会になったはず、だったんだ……」
「ーー高まりすぎた相互監視社会の到来、か」
「ああ。日に日に炎上の基準は下がっていき、それに比例するかのように炎上に対する罰は重くなっていく一方だった。最初は俺だって気にも留めていなかったさ。だけど思わないじゃないか。ーーまさか、配信中に異性との会話内容が映り込んだだけで炎上して収監されるような社会になってしまうだなんて。その結果、人類の半分は監獄にブチ込まれる異常事態に陥り、それに伴って炎上して収監され、服役を終えて釈放された炎上経験者の人間も増えてきた。アイツらは炎上経験のない俺たち善良な市民を炎上童貞呼ばわりし、シャバにいる人間のことを陰キャ社会と揶揄する人間が出てきてしまう、まさにディストピアと呼ぶに相応しい世界になってしまったんだ」

 男たちは、中継地点の隅で二人並んで座り、互いの持っている情報の共有を行っていた。もう一人の男はどれほどの罪を犯したのか、かなりの長期間収監されていたらしく、世の中の情勢についてあまりにも無知だった。陽キャ社会となった監獄内ではもはや新聞すら発行されていないらしい。

「……だが、そうだとしても何の罪も犯していないお前が法に触れてまでこうやって入獄をする理由はどこにもないはずだ。それなのにどうしてお前はーー」

「ーーエロい女が、いなくなったんだ」

「……は?」
「人気タレントやインフルエンサーと週刊誌に撮られるようなエロい女は漏れなく炎上して監獄にブチ込まれていった。その結果、シャバに俺と関係を持ってくれるようなエロい女は絶滅してしまったんだ!」
「お、おう……」
「悶々としていた折に、俺はとんでもない噂を耳にした。何と監獄の中、つまり陽キャ社会では日夜乱◯パーティーが開催されていると! ……だったら、これに参加しない手はないだろう?」
「いや、まあ、そりゃもしかしたら監獄内にはそんな区域もあるかもしれないがそれはいわゆる都市伝説ーー」

「だから俺はこうやって入獄することを決意したんだ。俺は入獄するために何もかもを捨ててここにやって来た。何人たりとも俺を止めることはできないのさ」

 男は半ば呆れながら引き留めようとしてきたもう一人の男を一蹴する。男はすくっと立ち上がると、もう一人の男も首を小さく左右に振ると、同じようにゆっくりと立ち上がった。

「……お前がそこまで決意を固めていたのなら俺からはこれ以上もう言うべきことは何もない。個人としてはお前に協力してやりたい気持ちもあるが、生憎俺にはやらなきゃいけないことがあるからな。悪いがお前の掘ってきた穴を使って脱獄させてもらう。代わりにお前は俺の掘ってきた穴を進むと良い。しばらく進めばお前の望み通り入獄することができるだろう」

「ああ、ありがとう。お勤めご苦労様です、……って言うべきなのは一体どっちなんだろうな?」
「どっちがシャバか分からないんだ。最後に笑った人間が多い世界がユートピアと呼ばれるだけの話だと俺は思うね」

 男たちはニヤリと笑うと、正反対の方向に向かって男は右足を、もう一人の男は左足を一歩同時に踏み入れた。





「……やれやれ、世の中にはとんでもない大バカがいるもんだな。ーーってアイツ、散々掘り進めてきたみたいな雰囲気醸し出しておいてここほぼ入り口だったんじゃないか!」

 もう一人の男は、数メートルほど歩いたところで脱獄に成功した。それと同時に3年の月日をかけて脱獄を企ててきた自分と全く同じ熱量で語ってきた男に半ば呆然とした感情を抱きながら、もう一人の男の中ではそれ以上気にするほどのことではなく、やがてすぐに忘れてしまった。

「……まあ良い。ここから俺の贖罪は始まるんだ。気合い入れ直さねえとなァ!」

 そして、3年の月日をかけたもう一人の男の脱獄は、ついぞ成し得たのであった。





「かなりの距離を歩いてきたが未だに監獄に辿り着く気配がない……。あの男は3年をかけたと言っていたが流石にそろそろ着く頃だとは思うが……。ーーって危ねえ!」

 出口のようなものが視界に入った瞬間、目の前で岩盤が崩れ落ちてしまい、男は完全に洞窟の中に閉じ込められてしまった。

「やれやれ……。まともに作業していたら3年かかっていたところを大幅に短縮できたと思ったらツイているんだかツイていないんだか。……まっ、これくらいの努力をしないで乱◯パーティーに参加したらバチが当たるってもんだ。一丁やってやりますかぁ!」

 男は、目の前の壁がまるで自身と乱◯パーティーを阻む障害物のように見えていたのか、一心不乱に再びツルハシを振り下ろし続けていた。





「……やっぱりだ。度重なる規制の連続によってこのままだと近い未来、必ず国は滅亡する。そりゃあそうだ。これまで当たり前だと思っていたルールが突然ひっくり返される恐怖を、あの頃の俺たちは想像だにしていなかったんだ。自分たちの都合で課したルールは、いずれ自分たちに跳ね返ってくる。そんなことにも気付かずに俺たちは自分たちの正義感に陶酔してしまっていた。いつの間にか法に雁字搦めにされてしまっていたんだ。まさか20年後、あんなことになるなんて……。いや、嘆いている暇はない。行動しよう。これは俺たちが、いや法を創り変えてしまった俺自身が果たさなければならない贖罪なんだーー」

 国内においても不満の声は高まっていたのか、もう一人の男に対する協力者は日に日に増えていき、ついにもう一人の男は国の正常化に成功し、監獄に囚われていた収監者たちを全員釈放することに成功した。

 もう一人の男はその後、まるで役目を終えたとばかりに唐突に世界から消え去った。それから十数年の月日が経った頃、もう一人の男の側近だった人間が出版した書籍の中に、もう一人の男が最後に言い残した謎の言葉が記載されていた。

『ーーよし、何とか国を正常化して監獄に囚われていた収監者たちを全員釈放することに成功したぞ。……ってアレ? 俺は何かを忘れているような……』





「ハァハァ……。ようやく崩れた岩盤を削り切って入獄することに成功したぞ……。……ん? 思ったより獄中は静かなんだなーー」

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