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祈る人

(2014年執筆)

金曜日の日没と共に彼女たちの安息日ははじまる。最も古典的なユダヤの方法の一つである、キャンドルに炎をともすことによって。

高校の約3年間を過ごした親友と初めて過ごす安息日だった。Shabbatと呼ばれるこの日とそのしきたりを、かたくなに守り続けているのは家族の中でも親友一人で、Hilaの家族は安息日を祝うものの形式的なものでしかない。

「安息日は、休むためにあるから」とHilaは言う。「王が奴隷たちを、雇い主が労働者たちを、農場主が家畜たちを休ませるために設けられた日だから。だからこの日は、ユダヤ教の教えに忠実であるならば、電気もつかわないし、火もつかわないし、お金にも触れてはいけないの」と。

ヘブライ語で書かれた祈りの書を前にして、祈りを捧げるのは女性たちだ。Hilaと母親は頭の中で祈りの言葉を唱え、最後にキスを落とす。愛と恵みへの感謝をそのまま示すかのように。

家族全員が食卓にそろうと、祈りの歌が歌われる。軍に遣えている長男のOmerもこの日は帰って来ていて、まだ愛くるしさを残した次男のYotamも恥ずかしそうにこちらの様子を伺いながら祈りの歌を口ずさんでいた。
そして一家の主である父親がワインとパンへの祝福を与えると共に、安息日の夕食が始まる。

安息日はバスに乗ることさえ躊躇するHilaに対し、兄弟たちは携帯電話を使うことをも厭わない。「不便じゃない、どうしてあなただけがかたくなにShabbatを守り続けるの」と訊ねたら、彼女はそれが生き方に組み込まれているからだと答えた。
Shabbatが終わるのは、土曜日の夜、空の彼方に星を三つ確認できてから。
電気も火も使えず、お金にさえ触れることのできない約24時間、彼女は散歩に行き、本を読み、庭の芝生の上に寝そべり、「ただただ休むの」だと言う。「始めた理由は宗教のそれだったけれど、今は宗教云々というより、私にとって解毒的な、必要なひとときなの」と。

「りかこは誰に祈るの」、13歳を間近に控えたYotamの瞳は、四年前と変わらずつぶらでよく澄んでいる。
そういえばHilaに同じことを聞かれたなあと思い出す。やはり安息日の真っ最中だったっけ。

ユダヤ教によると、男の子は13歳で成人するらしい。それを記念する儀式を控え、ヨタムはつい最近歌のレッスンを始めた。式の最中で歌うそうだ。変声期真っ最中のかすれた声で、旧約聖書の中にある祈りの言葉をのせたメロディーを。

私には祈る神様はいない。神様というか、ぐるりと世界を包んでいる、なにか超自然的な力はある気がしてならないのだけれど。それがきっと、神様や宗教に変換される何かなのだろう。

私はただ、日々を積み重ねていくだけだ。丁寧に、誠実に。
先のことを考えすぎて思い詰めてしまわないように、今日のことだけ、明日のことだけを考えて、実直に日々を重ねた結果が、ほんやり望んだ未来につながることを信じながら。

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