りかこ

LGBTQ/一人旅/読書/せんべろ/現代美術// You can't liv…

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LGBTQ/一人旅/読書/せんべろ/現代美術// You can't live on hope alone, but without hope, life is not worth living.

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震災10.5周年

震災から10周年。初めて津波に襲われた土地に行ってきた。宮城県は松島、そして石巻。新型コロナウィルスによる観光業の大打撃を受けている松島だが、ここ数ヶ月は週末となると全国から観光客が押し寄せるようになってきたと地元の観光業に携わる人は話す。 松島・石巻は、今まで日本国内で訪れたどの場所よりも異質だった。その理由の一つは、町を歩いているとあらゆるところに現れる、津波到達をあらわすこれらのサイン。津波に襲われたらしい寿司屋にも、民家にも、商店にもこのサインがあった。 津波で約

    • 君はよく頑張ったよ

       努力、というその尊い行いだけで、すべてを成し遂げてきたと、自分の功績を語る人が嫌いだ。自己責任論で弱者を排他してしまう人と同じくらい、そこには創造力の欠如がある。  スラムに生まれても、ものすごい「努力」をして、這い上がって億万長者になる人もいるかもしれない。描いていた以上の幸を成功をつかむ人も当然いるだろう。  でも結局、その人は努力をできる、そしてその努力が実る環境にいたという、紛れもない「幸運」を持っていたということにほかならない。  何者かになりたい自分がいるとき

      • 写真を撮ろう

         「残っていないみたいなんですよ。写真が。津波で流されてしまったみたいで」  「...あ、」  遺族が持っている写真や映像、そして彼らとの対話を元に、亡くなった人の似顔絵を描いている人がいる。その人と話をしている最中だった。あの未曾有の大震災が襲った土地に赴かれたことはあったのですか、とたずねたら、その答えが返ってきた。    どんなに愛していた人でも、どんなに長い時間を一緒に過ごしてきたひとだったとしても、一度私たちの日常からこぼれおちてしまえば、いともたやすく故人は記憶か

        • インド

          乾いた道には砂ほこりが舞った 大きい葉の下ではマンゴーがつぶれ くたびれた野良犬は日陰で身を休めた きらびやかなサリーが風になびく 女性たちの額には婚姻の印が塗られる 街は色と音とにおいであふれる どろどろと注ぐ太陽の下で それらすべてが織り交ざる わすれない 細い腕の力強さを 両目のない子どものことを スラムを駆ける少年たちの 人なつこい笑顔を その利発そうな横顔を 北にも川は流れた 祈りの声が聞こえた 衣服を洗う手の傍らを 死体がゆらゆらと流れていった 忘れない

        震災10.5周年

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        • 旅行記
          18本
        • 散文
          22本
        • 3本
        • 短編小説
          5本

        記事

          ベトナム

          川を花をつんだ船がゆく 泥まみれのボールを追う少年の傍らで 傘をかぶった老女が鮮やかな果物を売る 北に進めば海があった 古い京には寺院が並んだ 夕方になると、街灯の少ない道に 色とりどりの提灯が、ぽつ、ぽつ、とあかりをつけた 太い眉の下の 精悍なまなざしを忘れない 足をとらわれた砂浜に 打ち上げられた椰子の実も 砕けた界などの残骸も 異国の知らない言葉で 耳慣れない名前は風といった 手を握る強さに 子どものような強引さがあった 朝焼けに空が割れれば そこで道は分かたれ

          ベトナム

          わかれ

          指の触れた先から 僕の願っていた永遠はくずれた 光が浸食するこの部屋で からっぽな体に 花のにおいが満ちるのを待っていた

          まっすぐな暴力

          「あいしていました」

          まっすぐな暴力

          カメラを止めずにいられるか

          2011年3月11日の津波と地震があってすぐ、ディレクターとカメラマンはヒサイチに入った。 報道に携わる者として現場に入る手前、差し迫る津波に人が溺れるのをみとめても、そしてたとえ彼らを救える距離にいたとしても、報道者はルール上、彼らを助けてはならない。「救援」ではなく「報道」を背負って現場に入るからだ。 ディレクターとカメラマンが被災地に入ってすぐ見つけたのは、帰らない夫の姿を探す女性だった。取材許可を取るまでもなく回されたカメラにはやはりためらいがあったのか、カメラに

          カメラを止めずにいられるか

          メキシコはもう遠く

          (2019年11月走り書き) メキシコが好きだ。 この国の人々の伸びやかさと、鷹揚な笑い方と、今を生きている姿が好きだ。 管理職の有人が小旅行を優先して仕事に5時間遅れて行った。ガイドの友人は喉が痛くて仕事を休んだ。無理して何かをする必要なんてどこにもないもの、と彼らは言う。ゆっくりやすんだり、好きな人たちと過ごす時間の方が大切だもの、と。 メキシコが好きだ。 誰もが誰とも競い合うことのないゆるやかさが好きだ。太っちょでもやせっぽちでもいい。美しくあることを強制する広告を

          メキシコはもう遠く

          Recuerdame

           シヨンがこの国を出ていくと知らされたとき、私は永遠がないのだということを思い出した。    そして、長らくしたいねと話してきたのに、10年近く一緒にいるのにまだできていないことの数々を思い出した。和服を着て散歩をしようと話していたこと。花の名前を覚えにボタニカルガーデンに行こうと話していたということ。シヨンが目を輝かせていた様々な目的地たち、予告編を観るだけで二人して胸を躍らせた映画たち。時間はずっとあると思っていたのだ。友人という関係柄に、私はいつからこんなに甘えきってい

          約束された土地

          (2014年執筆) 嘆きの壁として広く知られているWestern Wallというこの壁は、かつてユダヤ教徒たちにとって聖地であったエルサレム神殿が破壊されたとき、唯一残された壁だった。 皮肉にも、今壁の向こうに建てられているのはイスラムのモスク。 ユダヤ教徒たちにとっては、壁の向こうの土地こそ聖なる場所だったのに、今となっては入ることさえもできない。だから彼らはその壁を訪れる。レンガの狭い隙間に、願い事を書いた紙を押し入れ、聖書を手にして祈りの言葉を繰り返す。 嘆きの壁

          約束された土地

          15歳の君へ

          ラッシュアワーの銀座線、車内に押し寄せる人の波に足元をすくわれた瞬間、昔付き合っていた人のにおいが強く鼻先をかすめた。最後に会ったのはもう10年近く前なのに。7年前に亡くなったのに。 嗅覚の訴えは一番鋭敏だ、と考えながら、そういえば昨日は彼の誕生日だったのだと思い出した。 昨日はとても好きだった人の通夜だった。 三百人近くが駆けつけたためか、人の流れが滞らないようにするのが精一杯といった風で、故人を最期に一目見ることはとうとうかなわなかった。住職の妻という特殊な立場もあった

          15歳の君へ

          つよさ

           強くなったなあ、と思う。自分のことを。うろのように真っ暗な過去をとつとつと語ってくれる人に、深い同調の視線ではなく、微笑みを返すたびに。泣きはらした目した親友にアイスクリームを渡して、その顔がくるしそうに、でもほんのすこしの喜びにゆがむのを見るたびに。死にたい、と泣きついてくる友人の肩を、笑いながら叩いてやるたびに。  何度でも思い出す。暗闇の中ぼんやりと浮かび上がるパソコンの画面を、不安な思いでずっと見つめていた自分のことを。7時間遠い国で、絶望と不安にもがいていた彼に

          We cannot hurt together

           週末のドラゴンは、きっと東京で一番愛にあふれた場所だと思う。ここに来る人たちが、ふだんどんな思いで日々をつむいでいるのか私には知る由もない。でもここにいるときだけは、誰と手をつないでいても、かたく抱きしめ合っていても、ついばむ以上の口づけをかわしていても、揶揄されることも否定されることもない。女同士でも、男同士でさえも。  店内に一歩足を踏み入れた瞬間は緊張した面持ちの朝子だったけれど、やたらと強いお酒を流し込むようにして2杯たてつづけに飲むと、ようやく気持ちがゆるんだよ

          We cannot hurt together

          Hへ

          Hへ お前が死んでから7年が経った。 お前が生きるはずだった7年を私は余分に生き、お前が永遠に生きることのない25歳を私は生きている。亡くなったとき、お前はまだ19だった。二十歳にさえなっていなかった。お前が誕生日を迎えるうららかな月まで、あと半年も残っていなかった。 多くのことが起きた年月だった。 H、お前は知らない。2011年にこの国を襲った津波のことを。その津波が引き起こした惨事のことを。ほぼ同じ時期、私たちの国からはるか離れた土地で始まった大規模な革命のことを

          わたしをはなさないで

           イスファハンから夜行バスに揺られ、ヤズドに着くと、空を引っかいたような三日月がまだ夜の底に浮かんでいた。  琥珀のような目をした、無口の運転手に連れられ、ボロボロのタクシーは道をゆく。道路をはさむようにして飲食店や洋服屋が並んでいる。きっといつまでも見慣れることはないのだろう、ペルシャ語で書かれた看板が次々と視界を横切ってゆく。もうとっくに閉店しているであろうに、華美なネオンがところどころ未明の町を飾り立てている。  ヤズドはイランの中でも上位いくつかに入るほど宗教色の

          わたしをはなさないで