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春から美術史を学ぶ全ての学生へ①―講義を捨て、街に出よう


私がお世話になったある美術史の教授は、どこかの年次の卒業式の際に、美術史を専攻した卒業生に向かってこんな言葉を贈ったそうです。

「美術史を学んだということは、貴方がたは美しいものを『美しい』と言えるようになったということです」

とある大学のとある教授

美術史を勉強したい!?ようこそ!



日差しが春めいてきたこの頃ですが、私立大学の合格発表が始まっているようです。「春から○○大」とSNSで友達探しを始めた元受験生の方々も多いのではないでしょうか。推薦や総合型選抜を用いた方ですと、もっと早くに合格が決まっていて「究極の暇」をエンジョイしているかもしれません。……国公立志望の皆さん、がんばれ。応援してます

受験生の総数からしてそんなに数が多くはないのは経験則から知っているのですが、春から大学生活を始める方の中には「美術史」をやりたいな、と考えている方がいらっしゃるかと思います。

この記事は一応、かつての私のように美術史を専攻したい人向けに書いていますが、実は専攻や学生かどうかはまったく関係なく、「美術に触れてみたい」と思ったすべての人向けの内容でもあります。よろしければ最後まで。

美術史にふれるきっかけはさまざまです。高校生の頃に美術館を巡ったら楽しかった。作る側に回ることは出来ないけれど美術に関わりたい。学芸員になって日本のアート業界を変えたい。私も受験生の時はそのひとりで、私大文学部から美術史を学べる学部だけを決め打ちで4校受験していました。

で、美術史志望の学生のなかには私と同様に、最初から「美術史を学べるところしか視野に入れていなかった」人もまあまあ多いです。中には「卒論のテーマもおおざっぱに決めていて、院に行ったらこの教授のもとでこんなことがやりたい」まで射程に入れている人も少なくはないです。目の前の受験に必死だった自分からしたら、「意識高……」と思っていましたが、実のところ入学前から「美術史の中で何を専攻するか」を戦略に組み込まないと、卒論のテーマ設定あたりで「あっ……やらかした」と詰むことになるので、今のタイミングで記事を書いています。全三回の予定です。

フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》1420-23頃,テンペラ,金地,板,メトロポリタン美術館

美術史が役に立つかは人それぞれ。でも、一生学べる学問

美術史は就職に不利だ、なんてことは実際よく言われますし、学科の教授からも「就活に関しては期待しないでください」と開口一番宣言されるかと思いますが、実際のところそんなに不利なわけではありません。
まじめに勉強していれば「その大学の文学部のなかでは」それなりの就職先に滑り込めます。言ってしまえば「『専攻によるバフ(経営・経済・商あたりで獲得できるやつ)』が得られない」程度です。私の今の職場は美術とはまったく関係ない環境ですが不満はないですし、上司も他大で美術史を修めた方です。

卒業後、美術の世界にコミットする人は本当に一握りです。同期で常勤の学芸員になれたのはたった一人でした。最初から美術史を学びたい、アートに関わりたいという志を懐いて大学に入った友人たちも、バイトなりインターンなりで業界の内情を知るうちに「思うところがあって」一般企業に舵を切った人が何人もいます。私もその一人で、「ああ……」という表に出せない出来事がいくつかあったので、能動的に今の職場を選んでいます。

とはいえ、社会に出て若干経済的に余裕が出てから「学部時代あんなに時間があったのにまじめに勉強していなかったな」と反省することばかりで、今は院進を少しだけ考えつつ美術史の勉強を続けています。在野でももちろん美術史は学べますし、特に学部で美術史を勉強した場合は「美術史を研究する上で何が必要で、特定の作家や作品にどうアプローチすればいいか」というネットでは何故か誰も教えてくれないアンチョコを、学費と引き換えに教授や友人が教えてくれるので、方法論さえ頭に入っていれば大学に所属しなくても勉強や研究を一生続けることは可能です。

私の職場は休憩中の雑談で同僚が「飲み会行くくらいなら勉強してる方が楽しいです」と零す異常な場所なので、そういった「学びそのもの」に人生の楽しみを見出せる方であれば明らかに向いていますし、そうでなかったとしても財産になります。美術館に行けない環境でも、スマホを開けば過去の名作は高画質でいくらでも見られる時代ですから……。

実際、私もコロナ禍や長期入院したときは美術館に一切コミットできませんでした(特に入院時は辛かったです、スマホもテレビもない環境だったので)が、かわりに卒論のための文献をひたすら読んで過ごしていました。

生きていく上での物理的収入としては、美術史は正直あんまり役立ちません。けれど人生における本質的な困難を抱え、しばしば死や病をともなう精神的な危機に直面した際、命綱のひとつとして機能するのが美術だと思っています。多くの宗教美術はそれを証明してきましたし、宗教の文脈に収まらない美術作品にも、わりと多くの場合それは言えると思います。

専攻と二外は接続していることが多いので、横着しない

まず、学部時代の属性だけ開示しておきます。
私の専攻していた分野は日本国内の仏教美術です。
理由はいくつかあります。ひとつは信仰がないなりにシンパシーがあったということ(その宗教自体になんの興味も持てないのに宗教美術を選択するのは、恐らく教学の研究含めて茨の道でしょう)ひとつは経済的理由で頻繁に海外旅行をするのが厳しく、たとえば西洋美術に触れたいと思った場合、研究したい作家の現存する作品すべてに触れるのがかなり難しかったこと、ひとつは(学芸員になるとしたら西洋はパイが狭すぎる)と悟っていたこと……そして最後が「二外でうっかり中国語を選んだこと」です。

私は受験時代英語がたいへん苦手だったので「英語ですらこんなに苦手なのに格変化とか活用とか全部暗記するの耐えられん!」と思い中国語を選んだのですが、その時点で半分進路が決まってしまった気もします。……とはいえ、これは第三外国語を必死こいて勉強するという軌道修正でなんとかはなります(優秀な学生はそれをやっている間にギリシャ語、ラテン語、サンスクリット語あたりを勉強しているのですが)。今は英語とともに片手間にロマンス諸語の勉強を始めています。

そして、(これは所属していた大学がバレるので)あまり触れたくないのですが、美術史を学ぶことができる大学にはわりと旧態依然とした「学閥」があり、在籍していた大学がたまたま「仏教美術に異常に強かった」ので、この環境であれば仏教美術に関わるどの分野で卒論を書いても、指導教官から適切な指導や修正指示を受けられると思ったのも大きいです。
あるんです。仏教美術は専攻する人が少なすぎて、割り振りの都合上仏教美術専門の教授がなぜか抽象画や現代アートの卒論指導にあたったりすることが……恐ろしいことに。

で、こちらは近代文学批評界の巨人である加藤周一の読書術と勉強法が詰まった一冊。「通勤電車で毎日言語を勉強する」はルーチンに入れています。『日本文学史序説』を著すほどの超超超超読書家にもかかわらず、「読書は楽しながら進めるものだ」というテーゼに貫かれたこの本を読むと、すこし肩の力が抜ける気がします。加藤が「ベッドには三つの役割がある。一つは寝るため、一つは愛し合うため、そしてもう一つは寝転んで本を読むためだ」と言って、ルームメイトの詩人にドン引きされたエピソードが大好きです。

講義を捨て、美術館に行こう

さて、ここからは専攻分野に関係なく、全てのアートを鑑賞者として学ぶための方法論を具体的に提示します。

まずは入門としていくつか必須の文献……を、と言いたいところですが、そんなことより美術館に行きましょう。歴史学はほとんどの分野は文字ベースの史料を一次資料――すなわち最も優先すべき論拠として扱うものですが、美術史は違います。美術史は「視覚資料」すなわち「作品そのもの」が一次資料です。「文字史料」は二次資料であり、副次的に参照するものです。主従が逆なのです。それゆえに文字ベースの歴史学ではアプローチできなかった部分に新しい見解を持ち込める強みもありますが、逆に言うと優先している史料が異なるので衝突が生じる場合も存在します。


ジョヴァンニ・ディ・パオロ・ディ・グラツィア《楽園》(1445)
テンペラ,金/カンヴァス,メトロポリタン美術館

美術史と似た問題に直面している分野は考古学で、史学と考古学のバチバチ加減に関しては美術史に通じるところがあります。また美術史を研究するうちに考古学に両足を突っ込むケースも多く、私もある寺の創建時期を考えるために、そこそこ最近出土したとある軒丸瓦を参考に、同様の瓦のほかの出土例をすべて参照したことがあります。例として東大寺のものを示していますが、実際やったのは別の寺です。

他にも「ミュシャで卒論を書いたけれどそれはそれとしてイスラエルで遺跡の発掘調査に携わった」お友達の話は大変に面白かったです。本当にフィジカル勝負です、美術史。

考古学も美術史も、扱う物品や手法こそ異なりますが……根本はそんなに変わりません。座学よりもフィールドワーク重視の学問ですし、どこに足を運ぶにせよ体力勝負です。
というわけで、美術館に行きましょう。できればいますぐ行きましょう。今日でもいいです。なぜなら、高校生(18歳以下)のうちは無料、ないし無料みたいな安さで見られる展示がたくさんあるからです。

大学生になると若干とはいえ値段は上がりますし、一般料金になると……働いている身でもまあまあ馬鹿にならない金額になります。
そして普段高校生無料施策を行っていない施設でも、春休みにはこんなプロジェクトを開催しているケースがあるようです。

都立美術館・博物館で 「Welcome Youth(ウェルカムユース) -2023 春-」 を開催します - 公益財団法人東京都歴史文化財団

https://www.rekibun.or.jp/wp-content/uploads/2023/02/20220214_rekibun_welcomeyouth.pdf

さらに一部の大学・短大・高専は国立美術館のキャンパスメンバーズに加盟しており、「国立美術館常設・さまざまな美術館の企画展・国立映画アーカイブ」がその教育施設に在籍しているだけで無料化ないし割引されます。私の在籍していた大学は当時ケチって対象となる学生を美術史や建築学科に絞っていましたが、今はそんなことないようです。よかったね。


私がお世話になっていたある(先ほどとは別の)教授は言っていました。「講義にはそんなに出なくていい、その時間で美術館に行きなさい」と。
私は高校時代に初めてきちんと美術展を見た日(親がたいへん好きな画家だったので、ある程度解説を受けながら鑑賞することができました)以来、見に行ったすべての展覧会のチラシ(フライヤー)、作品リスト、チケットをファイリングしています。最初は「ただ日記代わりに行った順にファイリングしている」だけでしたが、後々展覧会の公式サイトが消える・美術館が閉鎖する等の問題に直面したときに、(図録を買っていなかった場合)知識として頼りになるのは自分の行った軌跡と記憶だけだということに気づき、一生捨てられない宝物に変わりました。

最近は電子チケットも増えてきたので、それに関してはQRコードをスクショしてスマホのアルバムに突っ込み、入場時すぐ取り出せるようにしつつ、映画・演劇・ライブ・スポーツ観戦含めたもろもろの鑑賞記録として、ライフログも兼ねて管理しています。

電子チケット、正直ダルいです。コロナの感染対策として時間帯ごとの滞留人数を絞るために導入が進んだようですが、昔は「近くまで来たからあの美術館寄るか~」とふらっと行けた展覧会が完全予約制になっているケースがままありまして……。特に社会人になった今となっては、スケジュールを相当きっちり組む必要があります。

会期終了直前だと売り切れていたり、整理券も即終わっていたり、国宝展やディオール展といった注目の展示はチケット戦争が勃発したり、やっと取れた日程がダブルブッキングしていたり……。あとチケットサイトが一元化されていないのがマジでダルいですね。いろんなところからメルマガ来るし。

確かに、2016年の若冲展の悲劇(最大300分待ち)を思うと、慣れている人間的にはチケット戦争のほうがマシだとは思います。が、国宝展の場合若冲同様本来のターゲットの一部としてシニア層が想定されるので、インターネットへのアクセスが難しい層への配慮は必要だと感じました。

美術館に行ってみよう!

美術館に行くとき、必要なのはまず鉛筆と野帳です。要するにメモです。作品の何が気に入ったか、心を打たれたか、自分の感性はさておき美術史上なぜ重要なのか……。展覧会から得られる情報はそれこそ無限です。図録に載っていないキャプション(壁にどんと飾られた画家の名言とかですね)もあるので、その場でぱっと書き留めたり、ある作品を他作品と比較したりもできるでしょう。

数をこなすうちに、作品以外の要素も見えてくるはずです。キュレーション、動線作り、ライティング、客層、撮影可能とそうでない作品の比較、映える場所で「自撮り」している人の属性とか……。あとは本当に慣れてくれば、展示室に滞留している人数等もだいたい把握できるようになるでしょう。作品の前にn列できていたらこの展示の中には今~人が滞留していて、今日の来館者は~人くらいかな、とか。

そこまで感覚で掴めなくとも、来館者n万人突破をうたう人気の展覧会を日割りすれば、おおまかな一日辺りの来館者は割り出せます(無論曜日・天候・無料開館日等によってかなり大幅なブレはあります)。学芸員を目指す学生は、どんな展覧会が集客できるのか、あるいはどんな立地であれば人が集まるのか、あたりを学部時代から見ておいたほうがいいかもしれません。


音声ガイドは……私はほぼ使ったことがありません。一回あたり500円とはいえちりつもですし、ガイドで語られている情報は図録や関連書籍に出典があるはずです。それにどうしても「こういう鑑賞体験をしてほしい」という音声ガイド制作サイドのバイアスが入るなので、個人的にはあんまり……。初心者向けに間口を広げる、わかりやすく鑑賞してもらうという意味で、あって損はないものだと思っていますが……歌舞伎や能では私も利用しています。

あと、よく「なんで鉛筆なの、シャーペンやボールペンじゃだめなの」と聞かれますが、一応建前としてボールペンや万年筆だと「インクが飛び散った際に作品を汚損するリスクがあるから」ということになっています。シャーペンNGなのは監視員が見ているときボールペンとあまり区別がつかないからなので、深い理由はないです。が、監視員の手間を増やすだけなのでひとまず指示に従いましょう。忘れた場合でも「あの鉛筆(正式名称はペグシルです)」は必ず貸し出してもらえるので、それで作品リストにゴリゴリ書き込めば問題ないです。ただやはり不便なので、私は鉛筆削りと鉛筆、野帳をサコッシュに入れています。
野帳(メモ帳)はリング式のノートから何からいろいろ試しましたが、測量野帳が一番使いやすいです。

コクヨの測量野帳。だいたい文庫本より少し大きい程度なので、女性でも持ちやすいです

ページ数が少なくすぐ使いきってしまうので、売っているのを見かけたら三冊ずつストックしています。サントリー美術館の野帳は「日本美術の見方」と題したページがあり、掛軸、屏風、焼き物の部位の説明が軽く載っているので、日本美術が好きな方はあれを買うのもいいかもしれません。野帳は見に行った瞬間の感想を切り取っているので、どこかに文字に起こした段階で不要だと判断して廃棄しています。一応残してもかまわないのですが、正直何を書きたかったのか後から見返すと覚えていないケースの方が多いです。

そのうち単眼鏡が必要になるケースも出てくるでしょう。私はamazonの4倍のものを複数(予備も込みです)、仏像鑑賞用の6倍のものをひとつ持っています。

単眼鏡は本当にピンキリなので最初は財布と相談ですが、なんだかんだ一生使うものです。ひとまず安い品を買ってみて、金銭的に余裕が出来た段階で店舗に行っていろいろ試し、グレードを上げても良いでしょう。もちろん私のように「なくす前提で」安いものを複数持つのもありです。

私は展覧会によって使い分けていますが、旅行の際は両方持って行きます。6倍を買うタイミングは「4倍じゃ足りない、もっと細かいところを見たい」と思った瞬間なので、ひとそれぞれです。Nikonのものがいいという噂は聞いていますが、手を出せていないです……。

あと眼鏡を掛けていると単眼鏡が見づらいのとマスクで曇る問題もあり、美術館では基本コンタクトです。コロナ禍になって眼鏡×マスクの異常な不便さに気づいたのはこのときです。


カルロ・クリヴェッリ《聖母子》(1480頃)テンペラ,金,板
メトロポリタン美術館


同作品の拡大。単眼鏡があれば部分ごとの筆遣いの違いまでくっきり。

さて、実践についてはこのくらいでしょうか。あとは実際の学生生活についてお話しします。

ちなみに……仏教美術専攻なのに引用している画像が大幅に偏っていますが、その理由はまた後ほど。画像はすべてパブリックドメインのため、著作権の問題はクリアしています。