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映画「関心領域」――誰が目を逸らしているのか?

2023年のカンヌ国際映画賞でグランプリを獲得した「関心領域(原題:"The Zone of Interest")」が24日(金)に公開された。


「関心領域」英語版ポスター



カンヌ国際映画祭は今年、政治的発信を徹底的に禁止している。




監督はジャミロクワイの「ヴァーチャル・インサニティ」MVなどを手掛けたジョナサン・グレイザー。


映画は全編静的なカメラで展開され、固定された視点を人物がうごいていく「絵画的」と形容してよい画面が続く。


子を抱いて庭を歩くヘートヴィヒ(トレイラーより)


三年間かけて築いた美しい庭園と自然のなかで、多くの子供たちに囲まれて庭仕事に勤しむルドルフ・ヘス(演:クリスティアン・フリーデル)の妻ヘートヴィヒ(演:ザンドラ・ヒュラー)。
しかしヘートヴィヒの長年の夢であったこの「絵」は、ナチス・ドイツが推奨した「血と地」思想にがんじがらめにされた美しさであることも考慮に入れるべきだろう。


《労働する女性の帰還》レオポルト・シュミュッツラー,1940,ミュンヘンの大ドイツ美術展覧会に出展




ヘートヴィヒがルドルフに「戦争が終わったら農業をしましょう」と言うシーンがある通り、ルドルフ・ヘスはバイオダイナミック農法という神秘的有機農法の有力な擁護者でもあり、ダッハウとラーベンスブリュック強制収容所では親衛隊がこの農法を実際に取り入れていた。




しかしながら「エコロジカルで環境に関心があり、自然を愛すること」と「虐殺を積極的に推し進めること」が両立するのも事実だ。

ルドルフは人間の遺灰を堆肥として、花の咲き乱れる庭園に撒く。




庭園でのパーティの様子。収容所から焼却炉の煙が立ち上っている(トレイラーより)


さて、この作品を語るには「音」が必要不可欠だ。
穏やかな画面で起伏のあまりないストーリーが展開されるなか、環境音として常に銃声、悲鳴、泣き声が耳に入り続ける。
壁の向こうで起こっている悲劇はわれわれと登場人物には一切見えないが、聞こえ続けている。
この家に住む母親たちは、聞こえてくる赤子の泣き声には常に気を配りケアしているが、外の悲鳴には関心を示さない。いや、「知って」はいるが何も感じていない。


この家で男たちはユダヤ人を「最も効率よく焼く」焼却炉の建設プランを練り、女たちは連行されたユダヤ人の持ち物をいかに奪い取るかという話題に花を咲かせ、子供たちは遺体の流れる川で無邪気に遊んでいる。

隣でずっと殺されているにも関わらず。
いや、だからこそ。

金歯を眺める少年(トレイラーより)


この作品の登場人物のありようを「狂気」と断じるのはかんたんだが、それは「われわれ」のいる側を「正常」と設定することで登場人物とわれわれの間にもうひとつ別の壁を作るこころみでしかない。
実際、狂気や「精神の病」としたところで彼らをどうすればよいのだろうか。


「壁の向こうで起こっていること」を知っているが、「かれら」の声に耳を澄ませていないのは我々も同じではないだろうか。この映画は「音」をもって、常に我々に問いかけてくる。

これほどまでに音にフォーカスした映画は、かつて観たことがある中だとデレク・ジャーマンの「BLUE」くらいしか思い浮かばない。

この作品は本来映画は「五感すべてで」味わうものである、ということを強烈に思い出させてくれるし、一方で「目は閉じることができるが、耳はふさぐことができない」という人間の器官としての「耳」にも意識を向けさせる。


パーティに参加するルドルフ・ヘス(トレイラーより)


この映画のラスト、ルドルフ・ヘスはあるシーンを幻視して嘔吐する。
サルトルの描いた『嘔吐』を想起することもできるだろうが、私はむしろ10年前にイメージフォーラムで観た「アクト・オブ・キリング」を連想した。


「アクト・オブ・キリング」ポスター



「ホロコースト」は確かに歴史上ほかに例を見ない惨事ではあるが、虐殺は「この時期のナチス・ドイツ」だけでなくいつでも、どこでも起こり続けている。
ルドルフやアンワルが覚えた「吐き気」のように、だれにでも起こりえる。




初日に地元の映画館で「関心領域」を鑑賞した。7割ほど客が入っていたうえに、目を引いたのは(テスト明けだろうか)制服姿の高校生二人組だった。

若い世代の観客がほかの作品ではなく「関心領域」を選んで映画館に足を運び、同じスクリーンで観ていたことを希望だと感じた。

この映画に関しては、特に「誰がアンテナを張っているのか」すこし気にしながら観てもいいだろう。
それこそが映画館で映画を観る醍醐味だと言えるし、

逆照射して「誰が目を逸らしているのか」も気にかけるべきなのかもしれない。


たとえ目を逸らしていても、音は映画館の外でも絶えず聞こえているのだから。

今ここの銃声が、悲鳴が、聴こえていないとは言わせない。



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