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御言葉の黙想 サムエル記上1章10節ー11節 2024年7月4日

本文:
ハンナは悲しみに沈んで主に祈り、激しく泣いた。
そして、誓いを立てて言った。「万軍の主よ、どうかあなたの仕え女の苦しみを御覧ください。この仕え女を心に留めてお忘れにならず、男の子を賜りますならば、その子を一生主にお献げし、その頭にはかみそりを当てません。」

黙想:
サムエル記は、申命記系歴史家の編集によるものであるとされている。一方、扱われている史料の生々しさなどから、直接の目撃者による記述が含まれているという意味で、興味深い。

エフライム族の男性エルカナには二人の妻がいたが、ハンナには子供がいなかった。1章5節は翻訳によって意味合いが変わる。ある翻訳によると、エルカナはハンナに二人分を分与したとあるが、ほかの翻訳では、エルカナはハンナを愛していたが、(子供がいなかったので)一人分しか分与できなかったと解釈している。「אֶחָד」をどう解釈するかの問題であり、解釈が分かれうる。
私は、恐らくハンナには一人分しか与えられなかったのではないかと推察する。ハンナの置かれている状況の悲惨さを際立たせることは、主の栄光が彼女を通して現れるために、神学的に適切であると思われるためである。
もし、彼女が肉による十分な慰めを得ていたのであれば、10節における激しい祈りは現れなかっただろう。人間の砕かれた魂の叫びは神の望まれる礼拝である(詩編51,19)。
ところで聖書において誓いは、軽々しく立てることのできない重大なものである(マタイによる福音書5,34.ヤコブの手紙5,12)。しかし、常軌を逸した苦しみは、通常の満たされた精神からは出てくるはずのない、「誓い」の祈りをもたらす。サムエル記は、これらの出来事がすべて神の御計画の中にあったということを証言している。
そして主は、この時生まれた預言者サムエルを通して、新しい時代を開かれる。

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