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患者さんの苦痛に向き合うことの難しさ

研修医の頃に各科をローテーションした。小児科を回っている時に小児がんの患者さんを診た。小さい子が闘病している姿は胸を打つものがあり、かわいそうで見ていられないという気持ちを持った。小児科で深刻な疾患を診ている先生方はなんと立派なのだろうと感じた。

「かわいそうで見ていられない。」その気持ちはどこから来るのか。人は他者の苦痛に共感する時に、それを自分のことのように感じてしまう。それを共感性苦痛という。人間は社会性を持った生き物であり、ミラーニューロンという相手の感情と共鳴する神経系を持っていると聞く。それ故に負の感情も共鳴してしまう。相手がつらいと自分もつらいわけである。
医療者は患者に寄り添うことを良しとされ、実際に献身的な人も多いのだが、それ故に苦痛を感じてバーンアウトする人もいる。特に癌など死に向かう患者の医療では大きな問題で対応が必要と思う。

医者の反応は何パターンかに分けられるように思う。
一つには患者への共感を減らすというものだ。患者と自分との間に境界を設けて、客観的に医学的対象として治療にあたる。(もしかすると医者独特の冷たさはここからくるように思う。)
この態度は感情によるマイナスが減らせるため、特に手術の時などに役に立つだろう。目の前の手術を機械的にやった方がミスが少ないと思われる。
逆に患者に対する無関心や冷たさを生む可能性があり、それは医者患者関係に悪影響となるかもしれない。また行きすぎた場合は患者を物のように扱うこととなりかねない。

もう一つには、共感による辛さを我慢するというものだ。患者に寄り添い共感し自分の心に苦痛を感じたとしても、それは自分の役割だからということで感情を押し殺して仕事を行う。患者の方が辛いのだから、自分が苦痛を感じてはいけない、と自分に言い聞かせる。そんな経験はどの医者にもあるのではないだろうか。その献身的な態度が患者を支えることもあるだろう。しかし、あまりに自分を押し殺すと、感情を忘れるために酒に頼ったり、最悪の場合はバーンアウトしてしまう。

しかし患者に共感的に寄り添いつつも、苦痛を感じている雰囲気がない人がいる。患者もその感じに癒されているようで、まるで菩薩のようである。その人の心が強くて特別だと言ってしまえばそれまでだが、心の持ち様でそこに近づけないだろうか。

とある本でそのヒントを得た。
マインドフルプラクティスという本だ。現役内科医が「マインドフルネス」の考え方・具体的方法を解説した1冊である。
共感しすぎると人の苦痛を苦痛と感じてしまう。しかし、さらに一歩進んで、患者に対する思いやりを持つ事で、苦痛がポジティブな感情に変わるというのだ。相手に何かしてあげたいと思う事、実際に何かしてあげる事が治療者の感情を負から正に変えるという。これはただの精神論ではなく、慈悲の心が共感性苦痛を減らすというような科学的裏付けもあるようだ。

確かに災害などで被災地の惨状を見ると自分も辛く不安な感情になるが、その後に寄付やボランティアを行う事で前向きな気持ちとなる事がある。
思いやりの心は医者患者関係の中で治療的に働くことがあるだろうと直感できる。
問題は自分の心だろう。。残念ながら常に相手を思いやれる器のある人間ではないのである。なるべくそうあるように自分の心や体調を安定させて、相手を思いやれる余裕を持つ事が重要だろう。

凡人としては、時には心にATフィールドを張って守り、時には辛さを飲み込み、夜にビールを飲んだり気晴らしもしながら、それでもなるべく慈悲の心で医療に向き合いたい。

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