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ほめ日記312 ~私の育児における、勉強より大切なこと~

今夕、子供たちを家で留守番させ、大急ぎでスーパーに買い物に行ったとき、小3の娘のクラスメイトのお母さんに出くわした。

出くわした途端、彼女が、「来週また国語のテストがあるんですって?」と。

確かうちの娘は、「来週は算数のテストがある」とか言っていたなぁとは思ったが、「そうなんですか?」ととぼけた私。

すると彼女は、畳みかけるように、
「一緒に勉強したいんだけど、テスト範囲がわからなくて」と。

最近の私は、多忙と、娘の自立心の芽生えから(「ママに干渉されたくない」)、娘の勉強や宿題に干渉せずに、『娘を信じる』という大義名分に隠れていた。

そのお母さんは、別れ際に、「ほら、良い学校に行って、良い大学を卒業して、良い仕事に就いてもらいたい」と、育児書にあるような文言を放った。

そこで、なんだかモヤモヤした。

彼女には何も言い返さなかったが、
帰路につきながら、私の育児には、何が一番重要なのかを考えた。

私は、息子と娘に、勉強が出来るようになってほしいとは思わない。
勉強はある程度で良いが、「生きる力」を身につけてほしいと思う。

私の思う「生きる力」とは、
「挨拶ができること」、「謝罪やお礼ができること」、「助けを求められること」、「人に好かれる力をもつこと(自然体で)」、「正直にいること」、「他人への思いやりがあること」「自己肯定感が高いこと(自分を肯定すること)」、「自分を確立すること」、「正義感があること」、「好き嫌いを主張できること」と、こんなところだろうか。

「生きる力」があれば、勉強ができなくたって、自分らしく居られるし、必ず、その人なりの「人生の成功」が手に入る。
それがお金や就職先でなくても、家族や友人に恵まれたり、
自分の望む形での成功が得られるのではないかと思う。

今夕出くわしたお母さんに、私の思うことを言ってもわかってもらえないだろし、うまく伝えられる自信もなかった。
ただ、彼女の発言があったからこそ、私も自分の『育児の軸』を再確認できたように思う。

小心者かつ臆病者の私は、必死に勉強し、そこそこの成績で学校生活を終えた。でも、「生きる力」は弱かったように思う。
鬱にもなったし、不安症でも苦しんだ。今でこそ随分と楽観的にはなったが、まだネガティブが顔を出す日々もある。

そんな私だからこそ、
「勉強ができる=生きる力が強い」ではないと確信している。

私個人的には、「勉強」<「生きる力」だと思っているくらい。

よって、私の子供たちには、「生きる力」を身に着けてほしいと切に願う。

ただし、「生きる力」を育てる育児がどのようなものなのかは、模索中だ。

今日がんばったこと
1.子供たちを送り出し
2.出勤
3.朝一で、上司と外部の方々と大事なミーティング
4.上司のご機嫌が斜めでめんどくさく
5.グッタリ疲れて帰宅
6.子供たちを迎え
7.息子と柔道教室に
8.買い物をすませて、手抜き夕食
9.久々のnote投稿

週末もまたバタバタと忙しいが、私が必死に、でも、楽しく生きる姿が、
子供たちの「生きる力」に繋がるといいな、なんて思いながら・・。


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